読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

東京ちんこ倶楽部 〜哀しみのLast dance〜

生。社会。すべてが、ちんこ。

リスクをとろうとすると体が死ぬだろう

仕事を辞めたいと、考えている。長時間労働と休日出勤が、常態化している。苦しい。
年をとって、体力は急激に落ちていくのに、社内での立場は上がっていくので、仕事の量は増えるばかりだし、プレッシャーも強くなるばかりだ。どこまでひどくなるのか、見当もつかない。そのくせ、昇給は、あっても、ごくわずかだ。このような苦しみが、終わるどころか、これからどんどんひどくなっていく一方なのだと思うと、目の前が暗闇に包まれるような、絶望的な気分になる。
三十の半ばで、独身でこれほどつらいのに、年をとり、家庭をもったりしたら、どうなってしまうのだろう。今の生活では、人生のほとんどすべてを仕事に捧げてしまっている。家に帰る時間が遅いので、そこからやれることはほとんどなく、休日も、たまった疲れを癒すためだけに、ただだらだらと過ごしてしまう。仕事以外の時間の目的が、なにかを楽しむことなどではなくて、ただ、次の仕事のために、精神と体力を回復させることになっている。まさに人生のすべてが、仕事のためにあるようなものだ。
仕事以外で、なにか生産的なことをする余裕など、まったくない。とてもではないが、家庭をもつことが、想像できない。
しかし、ぼくみたいな人間がたくさんいるから、それで、きっとたくさんの会社が、倒産を免れていのだろうと思う。残業代ももらわずに、平日深夜までどころか、土日も働いているし、営業経験もそれなりにあり、ワードやエクセルの操作にも慣れている。経営者側から見れば、こんなに使いやすい労働力はない。我ながら、そう思う。
もちろん、できることならまともな会社に移りたいのだが、なかなかそうもいかない。これまでにもたくさんの人間が会社を辞めていったが、その中で転職ができた人達はみな、今よりももっと過酷な会社に入っていった。会社の規模が大きくなったり、給料が上がったりといったことはあったが、仕事の環境がまともになったという話は、聞いたことがない。ストレスで逆流性食道炎になったという元同僚もいる。
逃げ場のなさを、感じている。
「リスクをとれ」「挑戦しろ」という言葉を、よく耳にする。ぼくの会社でもそうだし、求人広告でも、すぐに目に入る。ぼくの感覚では、リスクをとるため、新しい挑戦をするためには、人生の、仕事以外のあらゆる方面を切り捨てて、人生をすべて仕事に集中させるしかない。挑戦と一言で言うのは簡単だが、一つの挑戦の背後には、無数の根回しや、資料作りや、事務作業や、営業活動が必要であり、しかもそれらの作業をうまく進行させるための管理コストも必要になる。
たとえば新しい企画を通すのなら、社内の反対派を説得するために、非の打ち所がないプレゼン資料を作り、関係者の時間を調整してミーティングを設定し、打ち合わせのための資料を集め、想定される質問への回答を作っておき、入念にプレゼンの練習をし、ミーティングでは完璧にプレゼンをこなし、上がってくるあらゆる質問に答えて、ようやく企画が走ることになるが、それだけでも、途方のない作業量だ。その上、ほとんどの場合、新しい企画だけに仕事時間のすべてを集中させることなどできるわけがなく、通常の営業業務や事務作業も並行して進めなければならないため、「リスクをとる」ための仕事を始められるのは毎日定時が終わった後となり、それでは、連日の終電帰りが目に見えている。もちろんそれでも時間が足りるわけはないから、泊まり込みをしたり、休日出勤をしたり、ということになる。
ぼくの会社から転職していった人々が入ったのは、まさに「リスクをとる」人間を、ポーズではなくて、本気で求めているような会社、仕事のことを第一にして生きていける人間を求めている会社ばかりなのだが、ぼくにとっては、そんな会社は、恐怖でしかない。