東京ちんも日記

生。社会。すべてが、てんこ。

開放されたい、開放されたい

仕事を終えて、道を歩いているとき、いつでも好きなときに、会社を辞めてやろうという考えが、ふと、頭の中に降りてきた。

ぼく自身を、売り上げ数字を追うためだけの、動物、もはや、人間とは呼べない存在におとしめてまで、毎日、起きてから、寝るまで、ほとんど、働き通し、なんらの、文化的な享受もできず、ただ、営業しまくって、食事をして、寝るだけ、これでは、健康で文化的な最低限度の生活どころか、人間とすらいえない、動物の生き方だ。

動物は、走って、喜び、食って、喜び、そして、寝て、喜び、ただ、それだけ。営業マンは、数字をあげて、喜び、食って、喜び、寝て、喜び、これでは、動物と、同じ。

いや、動物なら、まだ、いい。彼らは、彼らの本来可能な範囲で生きて、ありのままの姿、食っても食われても慰み物、そこには、美が、ある。営業マンは、電話して、醜く、営業先で、醜く、数字があがらず、醜く、数字があがっても、こっけいで、醜悪。おまけに彼らの行動は、周りの人間によからぬ金を使わせ、経済の回るスピードを早くし、人類の滅亡を、速めている。

なんという、糞だ。

ぼくは、会社の帰り、夜道を歩きながら、美しい、人間の暮らしを、想像してみた。ぼくらを、消費へと駆り立てるありとあらゆる醜悪なコピー、映像、音楽、それらに惑わされることなく、静かに街を散歩し、人間存在の醜さに、思いをはせる。仕事は、朝に始めて、昼過ぎには、終える。そうして、静かに、読書し、思索し、正しい音楽を聞き、夕方にはゆったりとした食事をして、眠くなったら寝て、また、新しい一日を、迎える。

こんな理想は、無理だとしても、今のぼくの生活の醜さ、社会の醜さは、少しは、なんとかならない、ものだろうか。働いて、働いて、働いて、働いて、人間らしさを失い、悪感情を撒き散らし、ごみにしかならないものをせっせせっせと生み出して、生まれてきたことを呪いながら、気づいたときには、死んでゆく。