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東京ちんこ倶楽部 〜哀しみのLast dance〜

生。社会。すべてが、ちんこ。

社会人にはなれなかった(就職活動をしたときから、分かってはいた)

社会人生活を始めて、長い時間がたち、仕事に、だいぶ慣れてきたと思っていたが、本当は、全然、だめ。暗く広い太平洋を、一人で泳いで渡るみたいに、少しも休まるときがないし、そもそも、人間は、太平洋を、泳いで渡るべきでは、ないのだ。
もうずっと、間違った場所で、生きている。間違った世界で、生きている。楽になれるのは、ほんのつかの間のこと。気を許したら、後ろから、すっと、刺されてしまう。通り魔のように、ぼくの社会的な生命を奪う出来事が、いつ起こるのか、まったく、分からない。暗闇の中で、仕方がないから、泳いできた。
でもたぶん、存在そのものが間違っている場所というのはなくて、ぼくがそこにいるということが、間違っているのだ。
最初から、分かってはいた。就職活動をしたときから、分かってはいた。初めてビジネスマンという人種に遭遇したときから、彼らが、ぼくとはまったく異なった存在で、ぼくとは異なった場所で生きていて、ぼくが彼らと分かりあうこと、彼らと同じ場所に存在することは、決してできないことが、分かってはいた。ビジネスマンの言うことにも、佇まいにも、自分とは相容れないものを感じ、悪寒のような不快感が、全身を、頭の中を、包むのを、とめることが、できなかった。それはやがて、ぼくの神経をおかし、ぼくは、まだ仕事を始める前だというのに、言いようの無い疎外感と不安がぼくを襲い、ぼくを病院送りにした。
それでも、世間一般のいわゆる「社会人」にならなれければという思いは強く、ぼくは、なんとかして、就職をしたが、まるで言葉の通じない国へ単身乗り込んだようで、彼らと、まったく分かり合うことができず、職場を、変わることもあった。
年をとっても、最初に、ビジネスマンに感じた違和感が、ますます、強くなるばかりだ。彼らは、なぜ、日に14時間も働いて、休日も会社に出て、頭が、おかしく、ならないのだろうか。本を読んだり、音楽を聴いたり、美術館へ行ったりする時間、いや、それ以前に、家族で食事をしたり、テレビを見たりする時間は、必要ないのだろうか。なぜ彼らは、仕事の話か、ごく身近な話、たとえば、互いの家族の話などしか、話したがらないのだろうか。大学を出て、なにを学んできたのだろうか。全部、忘れてしまったのだろうか。なぜ彼らは、お金も出ないのに、毎日、夜遅くまで、残業しているのだろうか。なぜ彼らは、給料が変わるわけでもないのに、自分から企画を出したりして、自分の仕事を、増やしているのだろうか。なぜ彼らは、自己実現とか、成長という言葉を、仕事に対して用いるのだろうか。仕事だけが、彼らのアイデンティティなのだろうか。なぜ彼らは、お金を稼ぐためだけに働いているぼくに、自己実現とか、成長とかを求めるのだろうか。なぜ、食い扶持以外のなにかを、仕事に、求めているのだろうか。なぜ彼らは、自分達の仕事が、世の中をよくするなどと、信じているのだろうか。本当にそうなのだろうか。ぼくはそうとは思わない。なぜ彼らは、自分達が長時間働くことで、他の人々の仕事を奪っていることに、考えを及ぼさないのだろうか。
ぼくは、彼らのことを理解することが、できない。結局、まっとうな社会人には、なれなかった。でもそれは、就職活動をした時点で、分かってはいたことだった。