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東京ちんこ倶楽部 〜哀しみのLast dance〜

生。社会。すべてが、ちんこ。

言いたいことが言えない、それなりに大事なことであっても

調子が悪く、病院へ行った。喉の調子が、おかしい。奥の方に、ずっとなにかがひっかかっているような気がする。そのもっと奥の方、食道にも、引きつるような感じがある。この不快感は、ストレスと関係しているような気がする。ノルマのプレッシャーが大きくなったときなど、ひどくなるような気がする。昨日などは、食道がこわばって、昼飯がのどを通らなかったくらいだった。
会社を早めに切り上げて病院へ向かった。早目といっても定時は過ぎていた。オフィスを出るとき、必要もないのに申し訳のない気持ちになって、まとも挨拶ができなかった、ぼくは静かに会社を出て、電車に乗って病院へ行った。
ここ一年ほど、体調を崩すことが多かった。昔は風邪をひいても一日だけ早めに仕事を終えて長めに睡眠をとれば回復していたが、最近は病院で薬をもらわないことにはどうしようもなくなっていた。今日の病院にはほとんどかかりつけになっていた。街の外れにある小さな開業医だった。
狭い待合室には群青色の作業服を着た中年の男が会計を待っているだけだった。健康保険証を受付にわたすとすぐに診察室から声がかかった。受付にはいつもと同じ若い女性がいた。きれいに左右に分けた髪に少し白いものが混じっていた。顔つきはまだ大学生に見えるくらい若かったが、そのせいか幸福からは縁遠そうに見えた。眼鏡をかけていて、男性の目線というものをまったく意識せずに選択したようなフレームだった。
診察は40秒ほどで終わった。老内科医はいつも異様に診断が早かった。血圧を測ってから、のどに違和感があることを訴えると、即座に細い懐中電灯のようなものを取り出してぼくののどを覗き、赤い薬品をつけた綿棒でその奥をつついた。糖衣をつけた消毒薬のような味がした。この味はいつも奇妙にぼくの記憶に残っている。それから隣にいた看護師に言われてシャツをあげ、聴診をすませた。その間、老医師のぎらりとした両生類のような目は診察室の空間のどこかに浮かんだなにかをじっと見つめていた。
――早く治したいか?今日は仕事は終わりか?
――そうです。
――じゃあ注射だな。はい、あっちで。
看護師はすでに奥の部屋に行っていた。ぼくは釈然としないものを感じた。ぼくは自分の症状をストレスによる精神的なものだと考えていた。ヒステリー球というものがある。だからぼくは器官に異常がないことを確かめてもらい、心療内科でも紹介してもらうつもりだった。前に来たときみたいに、ウイルス性の感染症だとか、そういうものではないのだ。これは緊張が続いて神経の調子がおかしくなったから起こった症状なのだ。でもぼくはインターネットで調べてきたそんな説明をする気にはなれなかった。体の異変の様子を自分の言葉で伝えて、ヒステリー球がでているのだと理解させるべきだと思った。しかしそう考えながらも、ぼくは看護師に言われるがままに別室に移動し、注射を受ける準備を進めていた。
――このへん…、食道?にも、違和感があって。
――うん。
――熱なんかはないんですけどね。
――38度越えたらひどくなるからそのときは連絡して。
思惑に反して、ぼくが伝えることができたのはそれだけだった。ぼくは恐れていた。ぼくはもう風邪をひいてはいない。ウイルスにおかされているわけではない。神経がおかしくなっているのだ。だから注射や薬は必要ないんだ。無駄なんだ。むしろ、体を傷つけるしれない。そもそもなんのために注射をするんだ。ぼくの病気はなんだというんだ。説明してくれ。インフォームド・コンセントというものを知らないのか。無駄な薬なんか、ぼくは一滴たりとも、体にはいれたくない。
――痛かったら言ってね。
ぼくはベッドに横たわり、注射を受け入れた。その後で、酒と煙草はやめるように言われ、薬をもらって、医院をでた。