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東京ちんこ倶楽部 〜哀しみのLast dance〜

生。社会。すべてが、ちんこ。

醜い、人間、ぼく

自分が、不幸だと、人の、不幸を聞くと、安心してしまう。直視したくない感情が、生まれている。
猛烈な日差しにさらされて倒れそうな街のティッシュ配りが、喫茶店で涼んでいるカップルを見てどう思うだろうか。彼は、彼らを祝福できるだろうか。酷暑のコンクリートに引き釣り出して、ノルマのティッシュの半分でも、押し付けたいとは、思わないだろうか。
二浪が決定した若者が、志望の大学に合格した従兄弟の高校三年生を、祝福できるだろうか。
第一志望の企業に落ちた就職活動生が、無事に就職活動を終えた友人の成功を喜べるだろうか。
会社で、働くのがつらいときに、同僚や、後輩や、先輩が、良い転職先を見つけて移っていったら、彼らの前途を、祝うことが、できるだろうか。
むしろ、会社を辞めた彼らが、次の行き先を決めておらず、少なくとも、しばらくは、将来の不安に身をさいなまれながら生きていかざるを得ないと、聞いた方が、どれほど、心安らかで、いられるだろうか。
人間は、醜い。
いや、ぼくは、勝手だ。醜いのは、ぼくだけで、街を歩く人々は、どんなに自分が苦しんでいるときでも、友人知人親類縁者の幸福を心から喜び、祝福し、貧しい生活を切り詰めてまで、祝いの席を一席、設けるかもしれない。自分が一向に結婚できる気配がなくても、親友の結婚式に馳せ参じ、新しい夫婦の門出に涙を流すかもしれない。
ぼくが、醜い、人間なのだ。
実を言えば、会社を辞める同僚達が、その後が決まっていないというときに、えもいわれぬ安堵を、感じてしまうのだ。