東京ちんも日記

生。社会。すべてが、てんこ。

入信できなくて、申し訳ありません

神様に人生を捧げるように、仕事に生活のすべてを捧げる人がいる。そんな人たちが、うらやましい。ぼくも、かたちの上では、仕事のためにすべてを投げ出すことはできる。残業と休日出勤の時間を捻出するために、プライベートを捨てることができる。でも、内心、不満である。隙があれば、逃げ出したい。しかし、ぼくが知っている本当に仕事にすべてを捧げている人たちは、労働時間が長くても、仕事の内容がきつくても、仕事以外での勉強を強要されても、逃げ出さない。むしろ、新しい仕事が舞い込んできても、発奮したりする。

彼らもみんなきつそうだけど、仕事を離れはしない。彼らに共通しているのは、達成したいことがあるということらしい。その内容は、単純に虚栄心を満たすための出世だとか、親や親類に恥をかかせないだけの地位につきたいとか、つくりたいものがあるとか、様々であるが、目的を貫徹するために敢えて苦しい生活を送るだけの意思の強さが要求されるということでは、同じようなものだ。
週末、数年前に転職していった元同期と飲んだら、異様に、タフになっていた。話を聞いてみると、仕事の内容は、ぼくと同じ会社にいたときよりもずっとハードだが、そのうち、自分がもともとやりたかった都市計画に関する業務ができるはずだから、耐えていると、言っていた。きついが、がんばれる。ここ数年間、毎晩のように退社時間は22時を越え、休日も毎週出社しているが、耐えている。ぼくの会社は、一年も在籍せずに辞めたというのに。
そんなに、がんばれることに、すごいと、思った。まるで、自ら、幸せな生活を放棄して、神のために生きる、宗教者のようだった。
分かっては、いる。
そういったタフでストイックになんらかの目的のために人生のほとんどを捧げて働きまくれる若い人間が、結局は利潤を求めることしか存在目的がない企業にとって、どれほど有益な存在か、分かってはいる。そして、そういった若者以外の普通の(ぼくにとっては普通と思える)若者たちが、まるでゴミクズのように使えない存在でしかないということも、分かっては、いる。
役に立たなくて、申し訳ない。ぼくにとっては至極普通の人間であるぼくは、企業にとってはゴミクズのような存在でしかなく、心底、申し訳、ありません。