東京てんこ日記

生。社会。すべてが、てんこ。

非人間的な生活

もう働きたくない、これ以上、毎日、十何時間も働くような生活を、五年も、十年も、二十年も、続けたく、ない。
これは、ぼくの強い思いで、ぼくが、多少なりとも幸せに生きるための、最低限の、条件であるが、どうにもかなえられそうにないのが、とても、つらい。
なぜ、ぼくの周りの人々が、ぼくと同じような、あるいは、それ以上の、長時間に及ぶ労働を、毎日、していられるのか、ぼくには、分からない。たぶん、人種か、宗教か、そういった、生きることの根底になっているものが、まったく、異質なのだと思う。
ぼくの同僚も、友達も、みんな、いい人で、ぼくも、助けられたりしているのであるが、彼らは、ぼくと同じような人間に見えるだけで、中身は、ぼくとは、まったく、異質な人々なのだ。
どうして、毎日、朝から、晩まで、働いて、いやな顔を、しないのだろう。その上、がんばって仕事をして、昇進して、自分の仕事を、もっと、増やそうとしている。いったい、どうなっているのだ。あまりにも、馬鹿げている。ぼくがおかしいのか、彼らがおかしいのか、どちらかしか、ありえない。
ぼくか、彼らかの、どちらかが、頭が、おかしくなっているようだ。そうに、違いないのだ。彼らは、夕方過ぎたら、仕事がいやで、いてもたってもいられなくならないのだろうか。夜中に会社を出るとき、生まれたことを、後悔して、叫びだしたくなったり、しないのだろうか。働いていなかった昔のことを思い出して、嗚咽しそうにならないのだろうか。
働くことの、なにが楽しいのだろう。もちろん、やりがいを感じることは、ある。それは、ぼくにも、分かる。でも、それは、限りある毎日の、ほとんどを費やすほどに、楽しく、夢中になれることなのだろうか。ぼくには、とてもそうは思えない。ぼくにとっては、どんなに好きなことでも、それのために丸一日を費やすなんて、とてもじゃないが、耐えられない。映画を見たり、音楽を聴いたり、本を読んだり、散歩したりするにしても、3、4時間もすれば、飽きてしまう。ぼくには、それが、普通だと思う。仕事は、その内容を問わず、拘束時間の長さからだけでも、非人間的としか、思えない。
非人間的、人権を無視された生活、ぼくは、自分の生活のことを、そう思っている。