東京ちんも日記

生。社会。すべてが、てんこ。

正しさに近づけない

停車のたびに人が乗り降りした。ぼくの隣に座っていた女の子たちは気持ちのよい微笑みと爽やかな香りを残して新神戸で降りていった。草原の向こうに見える木立みたいな子たちだった。
ぼくは3列シートの通路側の席に座っていた。新幹線に乗っている間、車窓の外に流れる景色を楽しむことはぼくの控えめな楽しみだったが、窓側に他の客が座っているとそうもいかない。それが女の子だったとしたら尚更で、どうにも落ち着かなかった。
2人組の素敵な女の子が新幹線に乗っているということは珍しかった。ぼくは仕事柄よく利用するが、少なくとも、そのような幸運が巡ってきたのは初めてのことだった。2人のあいだでは漂っている空気さえが違うものに感じられた。彼女たちが控えめにしゃべり、微笑みあうと、そこになにかがきらめいているような気がした。
「パンケーキ、ね」
「うん」
世の中にはいろんな女の子がいるものだ、とぼくは思った。
彼女らの背中を見送ったあと、ぼくは漠然と、正しい生活とはどのようなものか、考えていた。もっとも、それはここ数年間、毎日のように、うすく引き伸ばしながら、考え続けていたものだった。
ノルマが多く、毎日の労働時間が長く、必然的に、肉体的、精神的な負荷が強い状態が、ずっと続いていた。
まず第一に、ぼく自身が、ふとしたときに倒れたり、逃げ出したくなったりするような、そんな境遇にあるのは、おかしくはないだろうか。
次に、ぼくが長時間働き、高いノルマを達成していくことで、他の誰かの分の働きを、奪っているのではないか。誰かが平穏な生活を送れるだけの労働が、なくなっているのではないか。
そしてなにより、労働だけをせざるを得ない生活は、正しいのといえるのだろうか。曲がりなりにも大学を出て、選挙権をもっているのに、まともにニュースを追っていくことも、できない。日本だけでなく、世界中に、解決を待たれている問題があるのに、それらについてなんらかの働きかけをするどころか、正しい情報を収集することすら、ままならない。
ぼくは、金のために、無駄に自分自身を痛めつけながら、他の人の仕事を奪い、世界から、目を背けているのではないか。
でも、みんなそんなものではないか、とも、思った。多くの人々が、働いて、働きまくって、そしたら、後は、知らんぷりで、自分の稼ぎが得られれば、それでいいのだ、それは終生利己的な存在でしかない人間にとって、至極まっとうなことなのだろう。
宗教に生きれれば、とぼくは思った。あの偉大なトルストイのことが、頭に浮かんだ。しかし、あのロシヤの巨人も、ひとりの狂人に過ぎなかったのではなかっただろうか?

新幹線は、夕暮れ前に、博多に到着した。ぼくは駅から中州川端まで歩き、ラーメンを食べ、それから友達と合流して、屋台へ出かけた。