東京ちんこ日記

生。社会。すべてが、ちんこ。

限界を超えて死ね

毎日4時間以上サービス残業して、その上、毎週、休日出勤していると、判断力が鈍り、仕事のクオリティーが、下がってしまう。
そうすると、なんとか仕事を終わらせても、不備が見つかることが多く、他の社員の前で詰められたり、フォローのための新しい仕事を、増やされたり、する。
その結果、モチベーションが、下がる。毎日深夜まで残業しても残業代が出ないし、こなした仕事が増えたところで社内の評価が高くなるわけでもないので、ただでさえ、意欲を失った状態なのを、会社の将来のためとか自分の成長のためだとか言って、ごまかしごまかし、働いているのに、その上、さらに、全社員の前でミスを詰められたり、新しい仕事をふられたりすると、ふっつりと、なにかが、きれそうになる。それは、人間としての尊厳に関わる、ぼくの体の真ん中に流れる、糸のようなもののような気がする。もう、いつ自暴自棄になっても、おかしくない。
こういった状況は、今回に限らず、これまでにも、たびたび生まれていて、その度ごとに、年に数人ほどは、人が辞めていっていたので、いよいよ、自分にも、順番が回ってきたな、と感じている。
しかし、これまで、いろんな人が、たくさん、短い期間で会社を辞めてくれて、本当に、よかった。彼らの退職は、ぼくが会社を辞めても、それは決しておかしなことではなく、むしろそれが、十分に正しい選択でありえることを、教えてくれる。もちろん、次の会社がある、という前提ではあるけれど。
ぼくの浅はかな考えでは、会社は、ぼくのサービス残業と休日出勤を減らして、体力を回復させ、モチベーションを立て直させるべきなのだと思うのだが、実際は、回す仕事を増やしてくるばかりで、ぼくは、サービス残業と休日出勤の時間が増やされ、体の疲れを癒す時間も、十分な精神的な余裕も与えられないため、仕事にミスが増え、詰められてモチベーションが下がり、肉体的にも、精神的にも、追い詰められていく、一方だ。
ぼくに残された道はふたつあり、会社を辞めるか、体力的、精神的な限界を超えて成果を出すことかなのだが、会社はもちろん、後者を期待しているし、それができる社員と見込んで、ぼくを、入社させたはずだ。
もちろん、そんな目算は、狂っている。
たとえ奴隷であっても、労働の負担があまりにも大きくなったり、不当に対価が減ったら、雇い主から、逃げ出すだろう。なぜ、会社は、そんな当然の考えにならず、仕事を増やし、報酬は変えず、激しく叱責して、どうして、社員が奮発し、もっと努力すると、考えるのだろうか。精神的にはもちろんのこと、肉体的に、過労死と認定されるラインを超えて働いていることは、タイムカードを見れば一目瞭然であり、限界を超えて、やっとのことで働いているのは、ちょっと考えてみれば、わかるはずなのに、いったい、なんなのだろう。
社員のことを、人間と思わず、機械だとか、いずれ殺すべき、家畜であるとでも、考えているのだろうか。だから、詰められるだけ仕事を詰め、タイムカードの記録も、見る必要がないのだろうか。それとも、ただ、無関心、なだけなのだろうか。それとも、ぼくにはとうてい理解のできないような理屈で、報酬を出さず、猛烈に仕事を増やし、叱責を与え続けても、ぼくが、これまで以上に、意欲を燃やし、労働に熱を入れると、信じているのだろうか。
彼らのよくいう、「成長」であるとか、「限界を超える」であるとか言う言葉が、彼らにとっては、すべてを、説明してくれるのだろうか。それらのためには、給料を出さなくても、どんなに仕事を増やしても、プライベートを破壊しても、社員が、どんどん、働いてくれると考えているのだろうか。
おそらく、そう考えてのことなのだろうと思う。
それであれば、他の会社に移るあてもないぼくに残された選択は、お金も、健康も、プライベートも、すべてを犠牲にして、限界を超えるために、働くしかない。そしてそうしていれば、遠からぬうちに、ぼくは、死ぬことになるだろう。限界を超えて、死ぬ。しかし、その「限界」は、会社が求めている「限界」には、遠く及ばないものに違いないはずだ。ぼくのようなただの人間が、会社が求めるような、「機械」のような労働者には、なれるはずも、ないからだ。