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東京ちんこ倶楽部 〜哀しみのLast dance〜

生。社会。すべてが、ちんこ。

死にそうな生活

ここ数ヶ月、〈健康で文化的な最低限の生活〉というものを1日たりとも過ごせていない。

平日は4時間を超える残業が常だし、休日の半分以上は仕事で潰れている。

たまの休みも寝て過ごしたりするし、体調がすぐれず、また、仕事のことが頭の片隅に常にあり緊張を強いられているので、本当に休めた気がしない。

残業と休日出勤は月に100時間程度にはなるだろう。しかし20時間をのぞいてすべてサービスである。〈失われた〉残業代は月に10万円はくだらないだろう。そうすると、ぼくは少なく見積もって50万円ほどをただ働きしたことになる。

〈健康で文化的な最低限の生活〉の一つの基準として1日の労働時間が8時間であることがあげられるが、これは理にかなっていると思う。定時に帰ることができれば移動時間をのぞいて23時就寝として5時間ほどを就寝前に確保することができるだろう。睡眠時間は最低でも7時間はとらないと疲労を癒すのに十分ではない。睡眠以外で5時間ほどあれば、炊事、食事、風呂、洗濯、掃除などをまともに行うことができ、読書や勉強や趣味に費やす時間も2時間ほどはとれる。それくらいは時間がないとまともに国内外の政治、社会、経済情勢の情報を収集することも、趣味を楽しむこともできないだろう。家庭をもてば、子供の相手などで、必要な時間はさらに増えるだろう。

〈ぼくの残業時間〉はぼくになんらのペイバックをもたらすことはなかった。ぼくの限りある20代後半から30代後半の時間を削って生み出した残業とその成果は、ぼく自身にはなんらの経済的な無益をもたらさなかった。

残業代の支払いは法律的に定められてはいるが抜け道はいくらでもあるし国から公認もされているので労働者からすれば残業代を期待するほうが間違いとも言える。

〈管理職〉がまったく社員の仕事量を〈管理〉しないために社員の間で著しい業務量の差が生じている。

誰がやるべきか明確に決められていない仕事が大量にあり、担当も責任も不明瞭なままに一部の社員が対応している。会社にとって彼らは欠かすべからざる有益な社員と言える。しかし彼らには残業代が支払われず労いの言葉すらも一切ないために会社は彼らを冷遇していることと同じである。

会社にとって益の少ない社員ほど仕事の量も成果も少なく、退社時間も早い。そのことが、仕事を多く抱えている有益な社員にストレスを与えている。自分たちよりも成果の少ない社員が、人間的な生活を享受している。

退社時間が早い社員はみなそれを当然のことと思っている。あからさまに体調を崩すほどに働いている社員が隣のデスクにいるのに特に声をかけたりなどはしない。

退社時間が早い社員にとっては自分の仕事が終わったら退社するのは当たり前のことである。誤りはないし、誰も咎めることはできない。彼らだって毎日、日に数時間の残業をしている。

仕事量が多い社員は恒常的に仕事が多く、そうでない社員は恒常的に退社が早い。

彼らはどちらも間違ったことはしていないが、成果を出しても残業時間が増えても給料に反映されない点で、残業が多い社員に不満がたまっている。

仕事の配分は〈管理職〉の役割であるが彼らはその職務を放棄している。

仕事の多い社員がそうでない社員に仕事を依頼する分にはなんの問題もないが、仕事の少ない社員にはノウハウの蓄積がないため任せることができず、ノウハウを伝えるにもそれをもった社員は常時業務を多数抱えており時間に追われているのでなかなかそうはならない。

業務を多く抱えている社員は深夜残業と仕事の持ち帰りと休日出勤が常時あり体調を崩す者が多い。

ぼくは、最近、心臓がいたむことがある。肋骨の奥で、歯車が噛み合わなくなり、〈きしむ〉ような感覚がする。また、1年ほど前からで足した蕁麻疹が、ひどくなった。以前は胸や背中や手に出ているだけだったが、最近は顔にも容赦なくあらわれる。

いつも、睡眠不足のときのような頭の状態で、判断力が鈍くなった気がする。仕事中は、緊張感でなんとかもっているが、休日などは、眠気でずっと不快だし、陰鬱な気分が晴れない。

蕁麻疹があらわれるときは、決まってストレスを感じるときで、上司に急ぎで仕事を頼まれたときなどが特に多い。顔にもでているのだから、上司には察してほしいとも思うが、それは過ぎた望みだろう。

仕事中は、いくつもの業務を並行して、数時間単位の締め切りに合わせて進めているので、今なにを進めているのか、次にやるべきことがなんなのかを整理するだけでも、頭が締め付けれる気がする。そのような状況でも次から次に仕事が増えていく。タスクリストがすぐにいっぱいになってしまって、役に立たない。あまりにやることが多すぎて、ストレスが強く、脳が破壊されるような感覚がする。実際に、記憶力が弱くなったように思う。

これほど仕事をしていても、ぼくにとっての仕事は、食い扶持を稼ぐ手段にすぎないのが、馬鹿げている。まるで、仕事に人生を捧げているような働き方だ。

せめて残業代がでないのならば、確実に〈スキルアップ〉ができていればよいが、あまりにも煩雑な仕事が多すぎて、別の仕事で応用がきくのか不安だ。

いくら働いても、楽にならないのなら、いっそのこと、この社会を捨てたいが、ぼくにはそれは難しい。

時間はないのはもちろん、お金もないし、もはや、健康も失われてしまったし、希望がない。

ストレスを解消するために、昔は、本を読んだり、新しい音楽を聞いていたりしたが、だんだんと、文化を楽しむ体力も気力もなくなり、ただひたすら、食うことに楽しみを見出すようになってきた。少し値がはっても、うまいものを食う。

うまいものといってもたかが1500円くらいでくえる、外食の、カレーや、天丼や、そばなどで、大した金はかからないが、積み重なると、かなりの出費になる。この多少、食い道楽めいた振る舞いの原因は、明らかに長時間労働によるストレスなのに、いくら残業しても給料が増えないものだから、出費がかさむばかりで、馬鹿馬鹿しい。

外食に加えて、つまみ食いのお菓子だとか、飲み物だとかも、じわじわと食費を積み増しているが、そのことも、口惜しい。

一度失われた健康が、完全にもとに戻るのか、疑わしい。肉体的な健康はもちろん、精神的な健康もそうだ。鬱病になってしまったら残りの人生の生き方がだいぶ変わってくる。

昨日も休日出勤したが、もちろん給料はでないし、肉体的にもつらく、どうにも、やるせなくなく、3時間もせず、切り上げてしまった。心底、どうでもよくなってしまった。

昨日残した仕事のことを後悔している。また仕事に追われている。

どう考えても今の環境が人間的とは思えないが、〈戦時中〉だと思って耐えている。もうずっと経済の世界では戦争をするようにたくさんの人々が働きづめて、多くの犠牲を払ってきたのだ。

〈戦局〉は悪くなることはあっても、基本的にはよくなることはないと思う。

戦闘好きの〈蛮族〉にでも生まれ変わるしかない。実際、ビジネスの世界は彼らが支配していて、自らの死をものともせずに働いている。

〈蛮族の論理〉がどんどん社会全体に蔓延してきている気がする。IT化によるビジネスコミュニケーションの速度の向上(Eメールなんて廃止になればよいのに)、派遣労働に関する規制の緩和、ホワイトカラーエグゼンプション、24時間、コンビニさえあれば、栄養ドリンクが手に入る環境、すべてが、ぼくのような〈人間〉を不幸にするばかりで、蛮族が、喜ぶばかり。

〈動物〉である消費者や労働者は〈蛮族〉の思いのままに操られている。