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東京ちんこ倶楽部 〜哀しみのLast dance〜

生。社会。すべてが、ちんこ。

新幹線でGO

東京駅で新幹線に乗った。車両は山手線よりも高い高架の上を走った。有楽町や新橋、汐留に、気が狂っているような外観の高層ビルが立ち並んでいるのがよく見えた。たまたま車内販売がやってきた。弁当を買っていなかったので、カツサンドとお茶を買い、簡単に食事をした。
横浜駅を過ぎてからしばらくして住宅街の中にぽつりとブックオフの店舗があるのが目に入った。東京の店舗と同じように派手な三原色の看板がでていた。あたり一面が建て売りの戸建て住宅におおわれていた。高層ビルが並んでいるのは日本の国土のほんのごく一部なのだった。
隣の席に座っていた男がトイレにたって、一席だけ席が空いたとき、韓国人のカップルがやってきて、女がその席に座り、弁当を食べ始めた。やがて男も立ちながら弁当をつまみ始めた。くちゃくちゃという音と韓国語が車内に響いた。弁当を食べ終えたあとで、昆布のような臭いのするものを食べ始めた。車内に強い匂いがただよった。 
ぼくは彼らの会話とくちゃくちゃという音に耐え入れず、手に取っていたウェルベックの小説をテーブルに置いてiPodで音楽を聴くことにした。でもそもそも読書をしたかったのだから聞きたい音楽がすぐには浮かばなかった。そこで山口百恵のデビュゥ・アルバムを聞いた。アルバムは〈禁じられた遊び〉で勢いよく始まった。〈怖くない アアア 
怖くない アアア〉という扇情的な、リフレインを、百恵は十分な節度で包んで歌いあげていた。14歳の歌唱とはにわかには信じられないくらいだった。
百恵の歌唱には自己顕示がない。これ見よがしに、それらしく発音を加工したりしない。彼女の歌唱のどこをとっても、そこにあるのはごまかしのない彼女の声そのものだった。それは彼女の体の深いところから、肺を通り、声となってぼくの耳に届いた。
iPhoneを電源につなぎ、Wikipediaでこのアルバムのことを調べてみると、デビュゥ・アルバムではなくセカンド・アルバムであることがわかった。発売は1973年12月。A面はすべて都倉俊一によるオリジナル作曲、B面は国内ポップスのヒット曲のカバーで分けられていた。B面にはアグネス・チャン〈草原の輝き〉のカバーまであった。その地位を不動にした後期の山口百恵の路線を思うと意外な選曲であった。
もっともこのアルバムには百恵初の大ヒット曲であり、後の百恵の売り出し方を決定づけた〈青い果実〉も含まれていた。(〈あなたが のぞむなら 私 なにを されてもいいわ〉という14歳の少女が歌う際に衝撃的な効果をもたらすリフレインで始まるこの曲は百恵のみならずのちの日本のアイドル歌謡曲の歴史を塗り替えたといっても過言ではないだろう)

新幹線はいくつかのコンビナート地域を過ぎて静岡の茶畑を横切っていた。そのうちPOLA化粧品と大塚製薬の、田舎には不釣り合いなほど見事に設計された工場が車窓を過ぎていった。

田舎…こんなところにも住んでいる人がいるんだ…。

それにしても空は広く、雲はどこまでも大きかった。

ぼくはiPodをポータブルアンプにつなぎ、ヘッドホンはゼンハイザーのHD25を使用していた。

名古屋の大叔父がなくなったことを思い出した。そして、大叔父に好かれていたぼくの母親のことも。母親は大叔父の死に目に会えなかったのだと後から聞いたとき、どんな思いをしただろう。きっといつものように声にださず涙をこらえて静かに悲しみに耐えたことだろう。そして父とともに考えたかもしれない。〈次は自分たちの番だろう〉と。生物的な衰弱という避けられない事象によって、経済的にも、政治的にも、文化的にも、強制的に、速やかに、世代の交代が進みつつあった。でもそれで、いずれは〈ぼくらの世代にとって〉好ましい時代が訪れるのかというと、そうは感じられなかった。