東京ちんも日記

生。社会。すべてが、てんこ。

ニコニコ超会議にひとりぼっちで行くのにもそろそろ限界がきたかもれないという話

ここ4年間、ゴールデンウィークの始まりにはなんとか都合をつけてニコニコ超会議へ参加するようにしてきた。

最初は友達に誘われて軽い気持ちで
参加した。薄暗い幕張メッセのホールの中で躁状態で騒ぐ人々たち(若い人が多かったが年配の人もいた)の間でぶらぶらと広い会場内を歩き回るだけでも、物珍しく楽しかった。ぼくを誘ってくれた友達は二度と参加することはなくなったが、それでもぼくは参加し続けた。

会議のコンテンツは年々少しづつ変わっていった。正確に覚えているわけではないが、大相撲超会議場所が始まり、超歌舞伎が始まり、参加政党の数が増えたり減ったりした。山本太郎と直談判できるような年もあったと思う。

ぼくは普段からニコニコ動画を見るような熱心なユーザーではなかったので(それどころかニコニコ動画を見ることは年に数時間もないほどだった)、正直に言って、目的のブースなんかなにもなかった。ただ、インターネットの世界で相当程度広まっている(と僕は感じたのだ)、ニコニコの""文化""なるものに、あのカオティックな環境で触れられて、お祭り的な狂騒を感じることができれば、それでよかった(入場料があと1,000円高かったらぼくはこんなに熱心に足を運ばなかったと思う。ある種の試供品のようなサーヴィスがそれなりの値段で提供されていることも重要だった)。

毎年、コスプレの推奨エリアが好きだった(その近くには喫煙所があり、以前ひろゆき氏が一般の来場者にまじって煙草を吸っていたことがあった)。今年もぶらっと歩いてみたが、なんだかコスプレイヤーに対して写真を撮る人(カメコ)が少ないように思えた。カメコがくるのを暇そうに待っているコスプレイヤーもいた。去年みたいにカメコが大挙して列をなしているコスプレイヤーもあまりいなかった。

ミニスカートをはいた女性のコスプレイヤーがいた。黒ストッキングをはいてはいたが、ぼくは""パンツ""が見えてしまうのではないかと危惧した。彼女はしゃがんだ、特に下半身を手で隠すようなこともしなかった。そのとき、ぼくは確かに、パンツの色彩が黒いストッキングを通して目に飛び込んでくるのを感じた。カメコは写真を撮り続けていた。

このような、コスプレにおける性的な露出現象が世間を騒がせたときのことをよく覚えている。そのときはもっと過激で、秋葉原歩行者天国で女性が足をあげてパンツが丸見えの様が撮影できるようになっていた(ぼくの記憶に間違いが泣ければ)。あっという間にその話は広がったが、なんらかの規制が入って、そういった露骨なエロスは禁じ手になったらしい。

しかし、今日においても、多少パンツを露出するくらいのことはまだ可能なのであることをぼくはその日理解した。そしておそらくは、女性はそれを呼び物のひとつとしてカメコを呼びよせ、カメコは撮影の一連の流れの中で""パンチラショット""を自然に、しかし意図的に撮影しているのだろうとぼくは考えた。ぼくにはそういったことが倫理的に悪いことだと即断することはできないが(性的な魅力の利用は程度を問わなければそこかしこで見受けられるし、ぼくにはなんの権限もない)、ただ、収賄現場をたまたま目撃してしまったような居心地の悪さを感じた。

それとは別に、コスプレイヤーの中には、誰一人としてカメコから声をかけられないような人々もいた。多分理由は明らかで、彼らのコスプレには人々を驚かし、カメラを向けさせるような圧倒的なクオリティや、新しいアイデアといったものがなにもなかったのだ。ぼくはそういったまるで石ころのようなコスプレイヤーの人々に哀れみに近いものを感じた(彼らの才能や努力不足が原因であるとは思った)。

一部のホールではマニアックなジャンルの即売会や展示会も行われていた。ぼくはそういったものにとても強く心を惹かれた。でも、一人でいてはなにか話しかけられたときにぼくの関心の薄さが明るみになって(ぼくはなにかに一時的に強く興味をひかれても対象物を間近にみたりするとそれだけで満足してしまい関心が薄まることがよくある。また鑑賞時に話しかけてきそうな人が近くにいると緊張のあまり対象物に対して思考を巡らすことができなくなるのでなにも考えていない=ただの冷やかしにきたぼっちの暇人のように思われてしまう)、不快な思いをさせてしまうのではないかと考えるだけで、あまり近くに寄れなくなってしまう。

そういったわけで、コスプレイヤーの自意識について考えてしまうし、自分が興味をもった珍しい展示会などにも足を向けられないので、そろそろ、きつくなってきたかな、と思った。

幕張メッセを出ると、どこまでも青く透き通った美しい空が、ぼくの頭上いっぱいに広がっていた。