東京ちんも日記

生。社会。すべてが、てんこ。

2017年の資料性博覧会(ぼくのゴールデンウィークの思い出)

ゴールデンウィークに端的に言って暇だったので駄文を書いていた。そのまま削除するのはもったいないような気がするし、保存しておくにもPCの容量がもったいないのでここに記載しておくことにした)

・ぼくはだめな人間だ。


・だめというのはぼくという人間のある一面、もしくは、複数の面に関してであり、ぼくのすべてがだめであるということではない(ぼくという人間にも、倫理的に正しいと思われる面や、能力的に一般的な水準に劣っていない面があるとは、少なくともぼく自身には、思われるし、客観的にも、幸いに、ある種の試験の結果や、ぼくに関わってきた複数の人々の証言から、否定できないと思う)。


・ぼくのだめな面は、ぼくがずっと若いころ、それこそ幼稚園に入ったころから、不変なようである。つまりぼくは、人見知りで、引込み事案で、ものごとに継続に取り組んだり、なにごとかを成就させる意思と能力に乏しく、注意が散漫で、お金の無駄遣いが多すぎる。

 

・ぼくのこういった欠点は、ぼくの人生にある種致命的な問題を引き起こしてきた。

 

・ぼくは、いわゆるオタクと呼ばれる人々にあこがれる。

 

・それは、彼らの見た目や、ときに揶揄される言動などの、外面的なことにあこがれているのではない(ぼくは、いわゆるオタクと呼ばれる人々について、世間に膾炙したイメージに乗っかってしまっているが、むしろそうでない人々の方が多数ではないかとも考えている)。

 

・ぼくがあこがれているのは、彼らの一途な情熱、行動量、購買力、独立心、好奇心の対象を同じくする仲間との活発なコミュニケーションなどについてだ。

 

・ぼくは、ぼくの欠点によって、ひとつところにいられない体になってしまったし、じっくりと本を読み続けることもできない。

 

・そこで今日も、とりあえず部屋を出て、新宿へ向かった。最近、歌舞伎町の奥のエリアを、ようやく、強い恐怖心に足がすくむこともなく、歩けるようになった。今日もぼくは、エロスとヴァイオレンスの残り香が立ち上るあのあたりのエリアを散歩し、その刺激を肌で感じるのを楽しみに、とりあえず行ってみたいと思ったのだった。ホストクラブの馬鹿でかいネオンサイン、かち割られたまま放置されている看板、あるときは雑然と、あるときは整然と並ぶ大量のゴミ袋、酒と吐しゃ物の臭い、ボディコンシャスなドレスに身を包んだワンレングスのアジア系女性、そういったものが、なにか人生や社会というものに(過度にソフィスティケイテッドされた現代社会の大部分などよりも相応程度シンプルなものであるとはおもうけど)、感覚的に触れているという気にさせてくれるからかもしれない(ぼくが部屋をでて電車に乗って最初にしたことはスマートホンでゴールデンウィークに東京で開催されている催し物を調べることだった。もしそこになにかぼくの気を惹くものがあればこんなゴールデンウィークの真ん中にわざわざ歌舞伎町を散歩しようなどと考えてなかったかもしれない。でも東京で行われている催しは多くの種類のビールが飲める祭りだとか肉が食える集まりだとかそういった実にくだらないものばかりだった。控えめにいってぼくは東京の文化度の低さに反吐がでそうになった。今思えばぼくが見たWEBサイトが良くなかったのかもしれない)。

 

・新宿にきたのはよいが、新宿には昨日もきていたので、なんだかやるせない気がした。そこでツイッターを眺めていたら、資料系博覧会という同人誌即売会中野サンプラザで行われていることを知り、カレーを食べて中野へ向かった。

 

・とはいえ、ぼくはかつて同人グッズの即売会に足を踏み入れたことがあったが、特になにかを買う予定はたてていなかったしブースに座っている人々に左右から一挙手一投足を監視されているような気がして誰にも話せずにすぐに出たことがあった。今回も同様の状況になることが容易にイメージできたので、気が重かった。そこでまずは久しぶりに中野にきたということもあり、中野ブロードウェイを一回りしてみることにした。空は気持ちよく晴れていたが中野ブロードウェイへの道すがらはア-ケードの商店街を通っていったのであまり陽光の恩恵にあずかれなかった。

 

中野ブロードウェイにはさすがに濃密な店舗が展開されていた。ぼくはまず3階までエスカレーターであがってまんだらけから回り始めた。しかしお金がないので気になるものがあっても買うことはできなかった(上村一夫安部慎一の漫画など買ってみたかった。そういえばこの前GINZA SIXの蔦谷書店に行ったとき安部慎一美代子阿佐ヶ谷気分が置いてあった)。まんだらけの買取コーナーには多くの人々が漫画や玩具をもって並んでいた。中にはみかん箱を何箱も床に重ねている人もいた。ロボットの玩具をむき出しでもってきている人もいた。いらいらしている中年の男に店員の女の子がゴールデンウィークは買取が込み合う時期なのでと言っていた。そのあたりだけが妙に汗臭かった。他にもCD屋や、サブカル界隈で有名なタコシェという本屋を見た。CD屋はニューウェイブテクノポップの在庫が非常に充実していた。ヒカシュープラスチックスフリクション、TACOといった有名どころはもとより、ゼルダのアルバムがそろっていたのには驚いた。ぼくは信念をもって経営されているこの店で買い物をすることで少しでも売上に貢献したかった。なによりもゼルダの初期のアルバムを聞いてみたかった。でも使えるお金はなかった。ぼくはとてもふがいなく情けない気持ちになった。まっとうに働いてきたどころか、残業も少ない時でも月に40時間はしていたのに、中古CDの1枚も心置きなく帰る金が手元に残っていないというのはなんとも悔しかったが、ないものはないので致し方なかった。また、三島由紀夫を中心に日本の戦後文学、アングラ演劇、幻想文学、のラインナップがかなり充実していた古本屋もあったこともここに記しておく。ぼくは買い物できなかったが、好事家の方にはぜひとも足を運んでいただき、商品を購入していただいたりして、こういった店にはずっと続いてもらいたい(しかし本も音楽もデータで手軽に、安く、また場所をとることがなく手元に置いておける時代に、CDや本はいつまで必要になるだろうか。一方でレコードの売上が伸びているという話もあるが、それは一部の物好きの金持ちが余った金を慈善事業に回してしているようなものかもしれない。なんにせよこれまでとはまったく違ったお金の回り方になってきつつあると思う)。

 

・考えてみれば中野サンプラザの雄姿は中野にくるたびに眺めてもののその中に入るのは始めてなった(ぼくの友人に中野に住んでサンプラザの結婚式場でアルバイトをしていたという明大生がいた)。サンプラザではいくつかのイベントが同時に開催されていた。まんだらけのオークションとカントリーガールズというアイドルのライブ(ももち引退などど書いてあった)と、ぼくがツイッターで見かけた資料性博覧会だった。サンプラザの一階の天井は外から見たとおり斜めになっていて硝子張りで、太陽の光がそのまま届いていた。内装が白を基調にしていることもあってまるで外にいるような明るさで、まさにサンプラザといった様相だった(日本には○○サンプラザがいくつかあるらしく、ツイッターで検索しただけでも栃木と札幌にあるのを観測した。それらも中野サンプラザのように陽光がさんさんと降り注ぐような建物なのだろうか。古い洋館などにはサンルームという部屋がよく見かけられる。また洋館ではないが奈良に志賀直哉が自身で設計した旧居が残っており建物全体も瀟洒で美的であったがそのサンルームはとりわけ素敵であった。その建物は近隣にある奈良文化女子短期大学のセミナールームとしても使用されており端的に言ってひどくうらやましい)。フロアにはアイドルのライブの開場を待つ人々が並んでいた。その列は外にも続いていた。かなりの人数だったが整然と並んでいた。ぼくは外に出てみた。グッズ販売や着替えのためのテントがあって、アイドルのファンらしき人々がたむろしておのおのグループになって喋っていた。若い人も中高年も、男も女もいた。なぜかしらももクロのTシャツを着ている人もいた。また、自作と思しき、低画質でアイドルの顔写真をプリントしたTシャツを着ている人もした。ぼくは驚いた。それは様々な年齢、性別の人が集まっていることもそうだったし、彼/彼女らのほとんどがクグループやあるいや2人組みで仲良く談笑していることだった。彼らはどこで知り合うのだろうか。ライブ会場だろうか。年齢の性別に隔たりがあるのに仲がよさそうな一団もいた。彼らがうらやましかった。背景となる生活は大きく違うだろに、アイドルのことで楽しそうに話していた。ゴールデンウィークのさんさんとした陽光に祝福されながら穏やかに幸福な時間を享受していた。一人でいるのはぼくくらいだった。ぼくはスマートホンを片手に話さずに広場を一周してみた。でもやはりみんな楽しそうだった。それでぼくは建物に入ってエレベーターで資料性博覧会の会場フロアまでむかった。