東京ちんも日記

生。社会。すべてが、てんこ。

夏の日のソール・ライター、あるいは世界初の古本DJの誕生について

ゴールデンウィークに端的に言って暇だったので駄文を書いていた。そのまま削除するのはもったいないような気がするし、保存しておくにもPCの容量がもったいないのでここに記載しておくことにした)

 

高田渡のライブ゙映画になぎら憲一がゲストにきてトークするというので、渋谷まででて、宇田川町の奥のアップリンクというミニシアターまで向かった(かつて興隆を極めたミニシアター…今では細々とだが粘り強く生きているのは数箇所のみなのだろか)。まだ午前10時を回ったくらいで陽は上りきっていなかったが、暑さが肌の下にじんわりとしみ込んでくるようだった。渋谷駅から宇田川町まではセンター街を通って15分ほど歩く。朝のセンター街からは酒と吐瀉物と糞尿の臭いがした(特に誇張ではなくセンター街は本当にそんな臭いがす日がある)。

チケットは売り切れていた。電車の中で確認したときにはまだ残っているはずだったが、入れ違いになったようだった。ぼくは再度上映スケジュールを見て、次の日曜日には小室等がゲストとして登壇するとあったので、その回に見ようかと思った。

宇田川町のあたりには朝食をとれる店がなかった。カフェ・ヴェローチェはあったがパン類がお世辞にもうまいとはいえない店なので、センター街を引き返してカフェ人間関係でスコーンを食べた(とはいえ、この店のスコーンも大してうまくはない)。

人間関係という名のカフェを知ったのはぼくが18歳で東京に出てきたばかりのころだった。18歳の田舎からきた青年がこの店名を見たときに受けた衝撃は相当なものだった。この店に休みの日の朝に来ると明らかに栃木や埼玉からきたと思しき派手な格好をした若い女性達が何組か連れ立って、いつもレジに並んでいる。ぼくはスコーンを食べながらスマートホンでアップリンクの上映スケジュールを眺めていた。どこか左翼的なラインナップといった印象を受けた(ぼくは左翼という言葉をちゃんと理解していない。なんとなく雰囲気で使っている)。

せっかく渋谷まできたので東京BUNKAMURAで開催されていたソール・ライターという写真家の展覧会を観にいくことにした(この名前にはAOR系の優れたスタジオ・ミュージシャン、おそらくはキーボーディスト、といった趣があるようだ)。その前に少しばかり宇田川町にあるブックオフに寄った。引越しの際に夏目漱石の「吾輩は猫である」がぼろぼろになっていたので捨ててしまっていたが、久しぶりに読みたくなった。でも意外なことに在庫がなかった。たいていのブックオフには我輩は猫であるは1冊や2冊の在庫はあるような気がしていた。その代わりに「こころ」が装丁違いで何冊もあった。取とりあえず買ってみて、読みきらなかったから売った客が多いのだろう。

BUNKAMURAに入る前に近くのフレッシュネス・バーガーでチーズバーガーと生ビールでランチをして、ソール・ライター展を回った(BUNKAMURAという名称には田舎者をカモにしようとする魂胆があるように思える。「BUNKAMURA ザ・ミュージアム」は比較的ハイソな美術館だ(東急の本店に隣接しているが、ぼくのイメージでは、東急本店は幼稚園受験に親子揃いで着用するフォーマルウェアを購入するべき場所です)。もちろん上野動物園あたりの美術館などのように地方からのおのぼり組が大挙して押し寄せることはないのです(でも今日は明らかに背伸びした学生か、フリーターか、みたいな若者もいた。彼はニルヴァーナのTシャツにミリタリーパンツをあわえてその上にひげ面だった)。

ソール・ライターに関して言えば「リリカル」な「詩情」をもった色彩の魔術師といった印象を受けた。しかしいかんせん作風にキャッチーさが欠けていた。それが素人でも名前を知っているブレッソン、エルスケン、ロバート・フランクダイアン・アーバス、あるいはキャパといった写真家との大きな違いだろう。

 

展覧会を見終わってもまだ15時を回ったくらいだった。まだ時間をもてあましていたのでルノワールに入って吾輩は猫であるの気に入っていたページを探して読んでいた。ぼくは長時間同じ椅子に座っているのがとても苦手だ。限界がきたのは17時前だった。

 

思いつきで自由が丘へ行ってみた。自由が丘であればなにはなくても大型のブックオフがあるから有意義に時間を使えるのだ。駅につくと、フェスでやっているような入場管理用のリストバンドのようなものをつけている若い人たちが目に付いた(とはいってもそこは自由が丘、20代前半の若者というより、小さい子供がいそうな30代ぽい人々が多かった)。それとなく彼らの足取りを追っていると、ブンブン低音が聞こえてきた。駅から3分もかからない駐車場で、DJパーティが行われていた。ポスターを見るとみそしるとご飯なる人々がDJをしているようだった。陽が落ち始めて、冷たい風がぼくのほおをなぜた。とても気持ちのよい夏の夕暮れだった。ぼくもビールを買って駐車場の中でDJがセレクトしたビートに体を任せればどれほど心地よかったことだろう。でもぼくは一人だったし、まるで不必要などでかいリュックを背負っていた。ぼくはパーティーへ参加することをあきらめた。それで駐車場を離れて自由が丘の路地をぶらぶら歩いた。でもDJのビートと人々の嬌声はどこまでも風に乗ってきてぼくの耳から離れなかった。街中がみそしるとごはんのビートに包まれているようだった。たまらなくなってぼくは駐車場まで戻っていった。すると駐車場のすぐそばに古本屋があった。そこはちょうどステージに置かれたスピーカーの真向かいになっていた。店先には100円の文庫本がぎっしりと並んだ台があった。ぼくは古本をあさるふりをして音楽を聞くことにした。それはえにもいわれぬ心地よい体験だった。みそしるとごはんたちのビートにあわせて体を上下しながらぼくは文庫本をDIGした。陽がほとんど落ちてきて、風はますます冷たくなり、最高度に心地よかった。数年前に亡くなった川勝正幸のポップ中毒者の手記をはじめて、掘り出し物が何冊か見つかった。ぼくはまさに古本DJと化していた。世界で始めて、古本DJが誕生した瞬間だ、とぼくは思った。いつの間にか陽が落ちて空がその明るさを失い、駐車場と路地と古本屋の軒先の灯りと、みそしるとごはんのビートだけがぼくを包んでいた。