東京ちんこ日記

生。社会。すべてが、ちんこ。

聖地☆阿佐ヶ谷ロフトA潜入記

・阿佐ヶ谷のロフトAに行った。最近の韓国や香港のアンダーグラウンドなライブハウスの活動を収めたドキュメントリー映画を観るためであった。

・その日は2本の映画の上映の後、トークショーが開催されるという企画であった。控えめに言って拘束時間が長く、サブカル根性が試されそうであった。ぼくは2本目の映画の上映から入場した。それでなくても阿佐ヶ谷ロフトAに入るのは初めてのことだったので、緊張を感じていた。

・阿佐ヶ谷という街は、その地名を聞いただけで、サブカル好きは微笑し、左の人々はわけ知り風にうなづき、右の人々と公安は顔をしかめるような、ある種の聖地である。

※上記のいずれにも当てはまらない人々にとっては、阿佐ヶ谷なんて東京にあるのか大阪にあるのか沖縄にあるのかもわからないくらいだろう。
※高円寺や中野といった場所はあまりにも有名になってしまったから、サブカルキッズとレフトの人々が日本全国から流れ着いているとに違いない。そちらに比べると阿佐ヶ谷は純粋な中央線らしさというか杉並らしさのようなものを保っているように思われる。

・ロフトAは駅徒歩2分という異様な立地の良さだった。でも地下一階にあって、その入り口はアーケードからは見ることができない、その代わりに階段を埋め尽くしているポスターがとてもアングラな「圧」を発していた。

※たとえば、てんこが生えているセクシー女優の大島薫の全裸ポスターがあった。言葉の本来の意味での全裸であった。下の毛は剃っていて、おてんこの本体だけに必要最低限のモザイクがかかってる。その隣に本人のサインと「おちんぽみるく!」という言葉が書かれていた。

・店内に入り、受付でチケット代金を渡して席についた。フロアの前方に簡単なスクリーンとトークショーの席が用意されていて、居酒屋のようにテーブルが並んでいた。それらは小さな丸テーブルで、大人2人が座ればそれでいっぱいだった。床はチェッカーフラッグ柄で、派手なネオンがところどころに輝いていた。ぼくは50代くらいの年配の男性と相席になった。客の中に20代らしい人なんてほとんどいなかった。思っていた以上に年齢層は高かった。

・ぼくは相席のおじさんと最初から最後まで一言も声を交わさなかった。挨拶さえもしなかった。しかしそれが不思議と心地よかった。

・同じような感覚はそこに集まっていた人々の集団に関しても感じられた。まったくなんの干渉もされないし、品定めもされないという安心感が感じられた。「あなたも好きなんでしょ?うん、私も。いいよね…」という雰囲気があった。ここでは、互いの趣味や好みについて論争したりするような子供じみた行いはまさに川向こうの出来事であった。お客さん達はみな明らかに百戦錬磨のサブカルエリートで、すでに「橋」をわたってしまっていたのだった。

※参考音源:浅川マキ  赤い橋


赤い橋



・映画は、アンダーグラウンドなライブハウスと、政府との泥臭いゲリラ戦といった内容であった。

 

・すたれた工業地域の廃工場のビルの一角をもともとバンドの練習用スタジオとして借りていたが、やがて人が集まりライブハウスのように使われることになった。しかし、工場のビルは「製品の製造」のためにしか使用することができない、という法律があり、警察がやってくる。そこでスタッフ達は「俺たちは音楽という文化を製造しているんだ!」といった理論で警察と議論していた。

・結局、そこは何度か営業停止になり、別の廃ビルに移って営業再開となった。こういったことが4度ほどあった。

・ライブハウスに集まる人々はみな昼の仕事を持ちながら、ミュージシャン、機材係、PA、チケットのもぎり、バーカウンターのスタッフ、映像の撮影、などを掛け持ちし、さらに、ハウスのステージの制作(ペンキで鉄骨やベニヤを黒く塗るところから始める)、破れたカーテンの縫製、膨大なゴミ捨て、犬の世話、行政への対応、などなどを、すべて自分たちで行っていた。まさに「DIYとはこういうものだ」というのがよくわかった(ペンキの廃材のようなものを袋につめて捨てにいく映像があったが、心底臭そうなのが印象的だった)。

(続く、多分)