不思議 自分で自分のことがわかるのか
自分で、自分がまともな人間かどうか判断することが、原理的には、不可能であるとは、わかっては、いた。自分で自分について判断を下したところで、その判断の正しさを担保するものが自分しかいなくて、客観的な視点からの検証がなく、それでは、なんの証明にはならないからだ。原理的には、わかってはいた。
ぼくは、医者にうつ病と言われたが、自分では、まだうつ病と言われるほど状態は悪化してないとも考えている部分があり、これまでは、原理的には自分で自分がまともであることを証明することはできないにしろ、まぁ、まともだろう、と、なぁなぁに判断を下してきたのだが(というよりも判断をくだすことすらせず自分を信じてきたが)、いよいよ、自分による、自分自身についての判断が、当てにならなくなってきたようだ、と、思ってきた。自分ではまだまともだとは思ってはいても、周囲の人から、おかしいと、言われるのである。
自分の認識としては、短気になったり、頑固になったりした点はあるかもしれないが、判断力は、そうおちてはいないと、考えていた。いや、しかし、頭にもやがかかるような時間も多くなっているので、やはり、まともとは言えない状態なのだろうか。
頭にもやがかかっていたりしても、ある種の人々に比べると、いろいろなことについて少しはまともな判断ができるような気がしているが、そんなことは関係なく、自分が、過去の自分に、劣るようになったことが、問題だ。
もしかすると、ぼくのまわりにいる人の方が、ちょっと、おかしくなっているという可能性も、完全に、否定できるものではないのもしれない。それは、状況的には、まずないとは、思うけれど。
自分について考えることは、無駄かもしれない。そう思いながらも、考える。
「あなたはおかしい」と言ってくれれば、それが、救いになるかもしれないが、そう言ってくれる相手の判断が正しいかどうかを、確かめるすべがない。自分のことも、分からないのに。