東京ちんこ日記

生。社会。すべてが、ちんこ。

うつなのか、そうでないのか、そして、孤独

もう2回も心療内科に通い、うつ病だと言われて、薬も処方されているのであるから、ぼくは、うつ病ではある。でも、すぐに治るような気も、しないでもない。

 

うつ病の原因は明らかに仕事だから、すぐに仕事を辞めれば、病気の進行は止まるかもしれない。今なら、一時的に仕事を休んでいるとはいえ日常生活に支障はないから、すぐに退職して、うまく転職できれば、うつも治るかもしれない。

 

でも、そこまで今の自分の病状を楽観視してもよいものだが、わからない。調子がいいときは、うつ病だと言われる前のように頭がはっきりするのだが、知り合いや親のふとした一言で、急に気分が落ち込んだりしてしまう。今日も、親から、転職などしないほうがいいとラインがきて、とても辛くなった。自宅にいたが、腰掛けたソファからしばらく動く気力がなくなり、部屋にいることが耐えられなくなり、外にでて、喫茶店に入った(もともとぼくは、休日の昼間に部屋にいることなど、できないたちではあるのだが)。

 

気分の浮き沈みの激しさは、たしかに、ぼくがうつ病であるらしいということを、思い出させる。そして、ぼくは短気になった。以前は軽く聞き流していたようなことにも、ついつい反論してしまうし、場合によっては、怒りを感じてしまう。

 

自分には、どこにも、味方がいないように感じる。彼女は、ぼくに、愛想をつかした。親は、仕事を辞めるなという。ぼくと、ぼくの病気について、理解してくれる人はおらず、健常者の立場からアドバイスをくれるが、いまのぼくの状態では、アドバイスを実行に移すことは難しい。彼らにとっては普通にできることなのだろうが、いまのぼくには、難しい。

 

もちろん、ぼくに寄り添ったアドバイスをくれることもあるが、ぼく自身も意固地になってしまい、受け入れることを拒むようなことも起こってしまう。

 

もう、なにがなんだか、なにをどうすればよいのか、わからない。医者は、薬しか、くれない。ぼくの病状をちゃんと分かってくれる人は、いないように思える。ぼくと病気のことを分かってくれる人は、いない。そんなに哀しいなどというわけではないが、ぼくは、孤独である。ぼくがうつ病であることで、彼女も、親も、失望し、いらだっている。