東京ちんこ日記

生。社会。すべてが、ちんこ。

Hさんからぼくの不幸を見破られたこと

もう35年以上生きてきたが、いまだに人間は誰もがぼくにとって未開の土地である。同じ人間とはとても思えないようないろいろな性格があるし、ひとりひとりの人間性についても、どこまでいっても底が見えない。

 

とくに、ぼく自身がそれなりに極端に内向的な人間なので、いつも誰かといないと気がすまなかったり、人に遠慮なくものを言える人を見ると、いつも目を見張ってしまう。

 

かつて職場で同僚だった女性でHさんという人がいた。とても快活で人にずけずけとものを言う人だったが、自分自身についてもまわりの人についてもとても繊細な感受性をもっていた。年は、ぼくらが一緒に仕事をしていたときは30代の後半だったと思う。肩幅が広く、ふくよかで、シャツがいつもズボンから飛び出していた(彼女がスカートをはいているのをぼくは同僚の結婚式でしか見たことがなかった)。ぱっちりとした二重で、少し輪郭がまんまるとしすぎてはいたが、美しい顔立ちをしていた。誰彼問わずあだ名をつけていて、人を呼ぶときは、まわりも振り返るような大きな声をだした。

 

彼女には人の精神や健康状態をひと目で察知して、しかもそれを遠慮なく口にだすという性質があった。しかも他の人が気づかないような繊細な状態の変化も見逃さなかった。ぼくは彼女独特の表現でよくこう言われたものだった。「きみ、いやなオーラがでてるよ。よどんでいるのよ。私にはひとのオーラが見えるのよ」。

 

残念ながらの彼女はすぐに別の職場にうつっていったが、つい最近、たまたま新宿ですれ違ったときも、以前と変わらない明るい調子で、ぼくはこう言われた。「不幸なオーラが出てるよ。」それはぼくが心療内科うつ病と診断される3ヶ月も前のことだった。