東京ちんこ日記

生。社会。すべてが、ちんこ。

東京ちんこdream 12 原宿、煉瓦塀、古着屋

原宿駅を降りると石畳の坂道に煉瓦塀が続いていた。

坂道をのぼってゆくとたくさんの古着屋があった。1930年代から60年代のアメリカの古着を扱う古着屋が多く、ピンクや黄緑のカラフルなシャツやワンピースやスカートが店頭にたくさん並んでいた。

それらの古着屋はぼくがまだ学生のころ下北沢や原宿や高円寺でよく見かけたような純然たる古着屋だった。古着にまじって真新しい服やアクセサリーが売られているようなことはなかった。だだっ広い店内はまるで倉庫みたいだった。海の向こうの洗剤のにおいがした。空気は少しほこりっぽかった。

ぼくはいくつかの古着屋に入って懐かしい買い物を楽しんだ。そうして煉瓦塀が続く石畳の道を隣の駅まで歩いていった。

福岡タワー (東京ちんこ建築)

博多あたりでバスに乗り30分ほど、ベイサイドエリアにそそり立つのが哀愁の福岡タワーである。

 

福岡と博多は隣接している上、こちらのタワーと別途、「博多ポートタワー」なるタワーもあるため、名称を間違われることが多い、哀しみのタワーである。福岡ポートタワーだとか博多マリンタワーだとか博多タワーだとか。。また、一部ホームページでは「九州のシンボル」などと呼ばれたりすることもあるらしいがそこまでの存在感があるのかどうか疑問に感じる。

 

昔、ゴジラの映画で怪獣に破壊されていたが、それを自虐的に示すように、窓にシン・ゴジラが描かれていた。

 

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博多ポートタワー (東京ちんこ建築)

「耐震構造の父」「塔博士」内藤 多仲によるタワー6兄弟の末っ子。

 

おそらくこの地球上でもっともウルトラセブンを思わせる外観をしたタワーである。

 

写真は那珂川からの川下りツアーの船上から撮影した。

 

なお、博多において、かつてゴジラに壊されたのはこちらのタワーではなく福岡タワーであった。

 

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福岡市文学館 (東京ちんこ建築)

福岡市文学館は九州随一の大ピンク街である中洲の端の川向いにある。


東京駅や大阪市中央公会堂の設計で著名な辰野金吾の建築事務所が設計を担当している。


もとは日本生命の九州支社であったがいろいろあり現在は文学館として使われている。しかし文学館があるのは広い館内にただ一室のみである。


建築に疎い私のような者でも一目で「あぁ辰野」と語りだすことができるほどに辰野金吾らしい建築である。(辰野建築は他に東京駅、大阪市中央公会堂、京都の三条あたりで見ることができる。)


本館とは別に便所棟なるものがある。竣工当時から便所として使われていた建物である。そして現在でも便所として使われている。これはなかなか珍しいことらしい。


便所棟は天井が非常に高い。しかし、男子便所と女子便所は壁一枚でへだてられているのみで、その大事な壁が中途半端な高さで途切れている。もしも身長が2メェトル半くらいあれば女子便所が見えてしまいそうだ。まるで古い銭湯のような趣(おもむき)がある。


階段が鉄骨製で無骨な印象を与えており、アァルヌゥボゥの影響が見られる優美な室内とのコントラストが美しい。官営八幡製鉄所が近かったはずだが、当時の技術力では大型の鋼材がつくれず、イギリスから輸入したものを使用しているとのこと。そして螺旋階段がある。エレガンスのためには覆われてしまうような工学技術がむきだしのままで使用されており、独自の野趣がある。


ぼくはここに辰野式の工学技術へのリスペクトを感じた。そう思うと、階段や暖炉に見られた円形の独特な意匠も蒸気機関の一部のように思えた。それを同行者に伝えたが、「違うんじゃない」と一蹴された。

 

外観

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解説

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玄関

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日本生命時代の受付

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 受付から中へ入る扉

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階段まわり、特に螺旋階段

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 便所棟へ

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便所棟の天井

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特徴的に感じられた意匠

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東京ちんこdream 11 いとこ、お茶の水女子大学、消防車

いとこの家に来ていた。内装から、その家がイギリスの田舎風の古い木造だったことがわかった。いとこの兄弟がいた。ぼくは部屋の中をぶらぶら歩いていた。ぼくと同い年の上のいとこは白い布をかけたソファに寝そべって本を読んでいるようだった。
部屋を出るとそこはお茶の水女子大学の構内だった。4つの建物に囲まれた中庭のような場所にでた。頭上がアーケードのように天蓋で覆われていて薄暗く、人通りはまばらだった。
学園祭が行われているようだった。中庭をでてキャンパスを正門の方へ歩いていると古い石造りの講堂がありひっきりなしに人が出入りしていた。かつて三島由紀夫などの著名人も講義したという有名な講堂なのだという話を誰かがしていた。ぼくも入ってみることにした。
階段を上っているとその講堂が旧帝国大学やその少し後に設立された高等商業学校などと同じ様式で建てられたものであることがすぐに見て取れた。それは階段や手すりや天井の造作に明らかだった。ぼくは東京大学一橋大学神戸大学の古い建築物のことを思い出した。特に神戸大学の六甲台本館はぼくに強い印象を残していた。石の壁と天井に囲まれた冷たい空気の中をお茶の水女子大学の学生やその父母と思しき中高年の人々が行き交っていた。講堂のホールの入り口にさしかかったところでぼくは踵を返して階段を下りていった。ホールの入り口には赤やピンクや黄色のひもが垂れ下がっていた。なんらかの催しが間も無く始まるようだった。
キャンパスの正門の脇に大きな平屋建ての建物があってぼくはそこに入っていった。中は五十畳はありそうな広い和室になっていた。そこにはぼくの姪っ子といとこ達がいた。姪っ子は広い空間にいることが嬉しいらしく始終歩き回っていた。ぼくと同い年のいとこがその後ろをずっとついて転ばないように見ていた。ぼくの弟もいて部屋の隅の方で寝転んでいた。
部屋の大学の正門側の方に増築された部分があり、ぼくはそこに座った。旅館の部屋の窓際によくあるような空間でとても居心地がよかったが、椅子はなかったので、木の床にそのまま座っていた。おそらく建て増しされた部分のようだった。ぼくは心の中でこの素敵な空間に賛美を送った。
キャンパスを出るととても広い駐車場に出た。郊外の巨大なショッピングモールの駐車場のようだった。灰色のアスファルトと白いラインがどこまでも続いているように思われた。そこに一般の人は乗ることがないだろう特殊な消防車が二台並んでいた。空港に配備されているのとほとんど同じ車種で、どちらも日産自動車の車だった。車の後部はオープンカーのようになっていて簡単に中に入ってキーを入れることができるようだった。ぼくはそのずさんな駐車方法になにか事件性のようなものを感じた。
バイト先の先輩が通りがかった。ぼくは彼のバンドのライブを一時期よくライブハウスに観に行ったり一緒に飲んでいたりしたが、会うのはとても久しぶりのことだった。ぼくは彼に声をかけ、近いうちに彼のバンドの仲間やバイトの元同僚と飲みに行こうと誘った。