東京ちんこ日記

生。社会。すべてが、ちんこ。

知性は不要、馬鹿でなければ生きてはいけない、ぼくは、うつ

ぼくには、文学や文化人類学を学んできた、ナイーブだけど心の内に反骨精神を秘めた友人たちが、少なからず、いる。

 

彼らと会うと、お約束のように、彼らがヤカラとよぶ人々のことに、話が及ぶ。街中をアディダスのジャージを着て集団で闊歩していたり、Suchmosを聞いていそうな人々のことや、あるいは、意識が高いビジネスマンのことなどを、いつの間にか、ぼくらは、ヤカラと呼ぶようになった(このヤカラという言葉の用法は、おそらくどこかで使われているものを借りてきたものだと思うが、その出自は、ぼくにはよくわからない)。

 

それとはまったく関係ない話だけど、ぼくの好きな小説のいくつかで、行動する者はもれなく馬鹿、という話があったように、記憶している。知性的な人間はなにをなすことが究極的な善なのか、それを考え続けて答えが出ないから、行動を始めることなんてできない、行動なんてする人間は知性が足りない馬鹿だけだと。

 

すべての信念は、間違っている。だから、信念をもった行動も、発言も、馬鹿にしか、できない。

 

人は馬鹿になることでしか、生きては、いけない。

 

ぼくはいま、心療内科うつ病だと言われ、薬を処方されたため、会社を、休んでいる。今日は、町田で、コーヒーを、飲んでいる。ぼくはよく覚えているが、ぼくが最初にツイッターを始めたのは、町田だった。