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東京ちんこ倶楽部 〜哀しみのLast dance〜

生。社会。すべてが、ちんこ。

自営業者、死す

先日、高円寺に古着を見に来て、驚いたことがある。

 

高円寺や下北沢といった古着屋が集まる町は、往々にして、朝が遅い。午前中には歩いている人もまばらだ。とある本で、こういった若者の町は12時を過ぎるまではまるで町が眠っているようだ、こんなことだから今の若者はだめなのだ、という嘆きも読んだことがある。

 

ところが、その日、全国に次々と店舗を増やしているチェーンの古着屋が、朝の10時から開いていたのである。それらは、大きな資本の入った店で、古着屋のみならず、服を中心としたリサイクルショップチェーンとも言える店だった。

 

昔、ぼくが高円寺や下北沢で遊んでいたとき、古着屋といったら個人経営の店か、多少チェーン展開していたとしても、そういった古着屋の町に何店舗かあるくらいのものだった。

 

ぼくは、イオンが全国の商店街をシャッターだらけにしたような巨大な資本が、古着という世界にもなだれこんできたことを感じた。

 

ぼくは地方の町の商店街のほど近くに生まれた。そこは県内でも有数の若者が集まる街だった。ぼくが子供のころ、街には金物屋や電気屋やうどん屋といった生活に必要に必要なお店や、若い人たち向けに娯楽を与える服屋や、喫茶店や、小さな映画館がたくさん並んでいた。

 

ぼくの両親の会話の中には、それらの商店を経営していた親父さんたちの話がよく出てきた。誰それの店が最近改装しただとか、景気のよかったころにはどこそこの服屋は西日本でも有数の売り上げだったとか、商店街にアーケードをかけたときのお店ごとの費用の分担の話だとか。二代、三代にわたって続けていたような店も多かったので、話は代を遡って、戦後すぐの経済成長の前や、戦前のころにまで及ぶこともあった。それらは街の歴史そのものだった。

 

2000年代が近くなってきたころだったか、景気が悪くなったのと並行して、商店街に、コンビニや、家電量販店や、ドラッグストアや、ドトールなどのカフェが急に増えだした。そうすると、それまで街の店のほとんどを占めていた個人経営のお店が、どんどんと潰れていった。金物屋も、電気屋も、うどん屋も、服屋も、喫茶店も、いつの間にか姿を消していった。ぼくは実家を離れて東京に出てきていたが、半年に一度の帰省のたび、見慣れた店はなくなり、東京でしか見たことのなかったコンビニやドラッグストアやカフェチェーンがどんどんと増えていった。それらの店にはどれにもピカピカのネオンや綺麗な看板が並んでいた。ぼくはまるで東京そのものがぼくを追って田舎に進出してきたような気味の悪さを感じた。

 

両親のうわさ話も景気が悪いどころのものではなくなった。喫茶店の店主は店をたたみ、その後にはミスタードーナツが入った。電気屋はつぶれ、店主は50歳を過ぎて介護の仕事を始めたらしかった。ラーメン屋は店をたたみ、同じ場所でチェーンのラーメン屋のオーナーになったが、うまくいかず、多額の借金をかかえて、中学一年生の子供を残して病気で死んだ。死ぬまで自営業者でやっていくつもりだった大人たちが、みな地獄を見ていたようだった。

 

巨大な資本と、洗練されたビジネスのノウハウが、金を稼ぐ場所を探して、田舎でそこそこに商売をしていた親父さん達を、蹴散らしていった。

 

その同じ力が、ぼくの生まれた街を蹂躙しただけでは満足せずに、いま、高円寺や下北沢といった街の古着屋をも食い潰そうとしているようだった。でもぼくは今度は、知り合いもいないし、前々からやっている古着屋の店主たちがいまどんな暮らしをしているのか、知る由もない。

 

もっとも、店が早くから開いていることや、店内が明るく見やすいことなど、資本とノウハウが提供する快適な購買環境は、ぼくをも捕まえていて、結局ぼくは、朝のうちにチェーンのリユースショップで買い物をして、帰った。

銀座和光 (東京ちんこ建築)

言わずと知れた銀座の中心である。四丁目の交差点の角にあり、道向かいは三越ドトールだが、このドトールカフェオレ1杯500円するクレイジーなドトールで、川崎にある24時間営業のドトールと並ぶドトール好きには有名な店だと思う。川崎のドトールは繁華街の真ん中にあったがもう潰れているかもしれない。ぼくはそこでキャバクラだがなにかそういった店に勤務を始めるに際しての、女の子と店長らしき男との会話を聞いたことがある。「あわよくば"やりたい"んだよ、だから、"やれる可能性"を感じさせてくださいね」というのが男が女に特に伝えたいことのようだった。

 

渡辺 仁の設計によるネオ・ルネサンス様式の建物である。交差点に沿った緩やかな女性的とも言える曲面が美しい。

 

神奈川のいい育ちの女性がちょっとしたフォーマルな訪問にここのお菓子を買って持参していた。その出来事に銀座和光クラス感を感じさせる。

 

ここの時計塔はゴジラの第1作目で破壊されたが、現実と虚構の狭間に落ち込んでしまった人々が映画を見た後で本当にこの時計台が破壊されたのかを確認しにきた。和光は激怒し「銀座のステータスシンボルを台無しにするな」と東宝に猛抗議をいれたが「東宝日劇ゴジラに壊されておりますので……」とよくわからないなだめ方をされたらしい。

 

これを書きながらNHKを見ていたら諏訪淳なる凄まじい写実表現をする画家の番組をやっていたが満州で餓死した祖母の死体の絵を描くために生前の満州での祖母の足跡をたどる番組だった。満州でのおぞましい歴史はぼくは少ししか触れたことがないが村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」や里見弴の短編が強く記憶に残っている。番組の中で「(敗戦後は)国民はゴミクズ以下の存在だった」という趣旨の満州からの引き揚げ経験者の老人の発言が印象的だった。諏訪淳のような画家の存在に驚いたし彼を取り上げるNHKはやはり只者ではないと思った。

 

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コープオリンピア (東京ちんこ建築)

目の前に歩道橋があった頃が懐かしい。よい眺めが得られた。漫画などでも取り上げられていた記憶がある。あの歩道橋がなくなったときははっとしたものだったが、それが何年ほど前になるのか、もう見当もつかない。コープオリンピアは世界でも有数のシティーボーイ的な集合住宅と言えるかもしれない。

 

以下、ウィキペディアより適当に引用する。

明治神宮、および原宿駅の至近にあって、黎明期における「高級マンション」の代表例として知られるほか、1965年(昭和40年)当時の分譲価格が最高で1億円を突破したことから、いわゆる「億ション」の第一号でもある。

 

設計は清水建設によるもので、(1)並木道との調和を図って緑が映える外観とすること、(2)レストランや美容院など商業施設を併設し、建物自体に都市としての機能を盛り込むこと、(3)海外滞在経験などもある富裕層を満足させられる設備・仕様とすること、などを意図して設計された。

 

新築分譲時には、最高価格である1億円の住戸のひとつを当時人気だった女優・京マチ子が購入したことでも話題となった。

 

表参道でも最も原宿駅に近接した位置にある高級マンションとして知られ、後年になってもいわゆる「ヴィンテージ・マンション」として、中古住宅市場では築年数に比して高値での売買が行われている。

 

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赤坂迎賓館 (東京ちんこ建築)

迎賓館には和風の別館もあり、こちらも見学した。谷口 吉郎(たにぐち  よしろう)の設計で、特徴的な六角形の照明などはホテルオークラを思わせた。ぼくは失われてしまったホテルオークラのロビーを思い出した。

 

内部の撮影は禁止だったので写真は手元に残っていないが、一分の隙もない贅沢な材と造りで表現された谷口吉郎流の和の空間だった。

 

谷口吉郎は金沢の出身である。ぼくは一度だけであるが旅に行ったことがある。一度だけであるからもちろん土地に詳しいわけはないし取り立てて興味をもって調べて見たというようなこともない。ぼくの友だちに代々政治家、官僚を排出している日本でも有数の名家の者がいるが彼は金沢のことを褒めていた。一日で歩いて回れる都市のコンパクトさが気に入ったと言っていた。確かにそうだった。吉田健一がこの土地の名前をつけた小説を書いている。ぼくは金沢が好きだ。金沢には谷口吉郎の息子の谷口吉生鈴木大拙館がある。

 

迎賓館の本館は宮内庁建築を多く手がけた片山東熊(かたやま  とうくま)の手による設計でよく知られているようにかつての東宮御所であるが、これを見た明治天皇は一言「贅沢すぎる」と言ったそうである。実際、その装飾の豪華絢爛さは、と、あまり意味もなく比べてみるが、ぼくの好んで見る辰野金吾の銀行建築などとは段違いである。片山自身は明治天皇の一言を聞いて病気がちになったという。

 

山東熊はかのジョサイア・コンドルの一番弟子で辰野金吾の同期である。奈良国立博物館京都国立博物館も彼の設計である。ぼくはいずれも見たことがある。

 

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雲仙観光ホテル (東京ちんこ建築)

下記、ウィキペディアより転載。

 

建築概要

日本の在来建築にアルプス地方に見られるスイス山小屋風のデザイン(ハーフティンバー様式)を融合。地下及び1階はRC造で、骨材は丸石。2・3階は木造。外観は、柱や梁(はり)、斜材など木造骨組をそのまま外部に出すハーフティンバー技法と雲仙の溶岩石と杉やヒノキなどの丸太を組み合わせ、落ちついた雰囲気に仕上がっている。 内部は、床材に米松、手摺りはインドネシア産の硬木材・ジェルトンなどの建築資材を用い、各所に手斧(ちょうな)削りと呼ばれる日本の伝統的な技も見られる。ドアノブの位置は床からの高さ135cmと、明らかに日本人ではなく欧米人のサイズになっている。竹中工務店、設計施工の第一号となったホテル。設計は、早良俊夫。

 

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福岡市博物館 (東京ちんこ建築)

教科書に載っている金印があった。

金印のためだけにひとつの部屋があてがわれていた。

建物を正面から見た姿はぼくにタージマハルを思い起こさせた。強い意志と権力のようなものが感じられた。

アマゾン展が開催されていて中には一部生態展示もあった。

ぼくはキンカジュウのなめらかな毛並みとタイマンワニの微動だにしない姿態に目を奪われた。

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