東京ちんこ日記

生。社会。すべてが、ちんこ。

ぼくの好きな歌:君に捧げるほろ苦いブルース:荒木一郎

よくあることだけど荒木一郎を聞かず嫌いしていた。中古CD屋でシンガーソングライターの走りだとかいう売り文句を見つけてなんだそれはなどと思ってしまっていたのだ。それに最近のぼくはPASSレコードのリイシューCDでフリクションから始まってphew突然段ボールだとを聞きなおしていたのだ。


https://youtu.be/rP6kfPI7u3k?t=59s
https://youtu.be/qnPEc12lf28
https://youtu.be/788EWU7xEZk

こういったように、最近はパンク/ニューウェーブばかりを聞いていた、ということもあるかもしれないが、とにかく、荒木一郎の「君に捧げるほろ苦いブルース」を聴いて、とても気に入った。

https://youtu.be/SUdWCYp7hco


これは「なごり雪」くらい広く知られてもまったくおかしくない素敵な曲である。メロディの運びが実に自然でそれでいて非常にエモーショナルである。いわゆる日本のフォークソング的な情緒をまといながらもカントリータッチの優れた編曲を交えて決して湿っぽくならない。ブラス類のオカズの入り方のセンスもよい。なにより荒木一郎の声がよい。サングラスをかけた顔写真のイメージそのままのまさに昭和な声。加山雄三寺尾聰を結びミッシングリンク。歌謡曲がニューミュージックと合流してシティポップスとなってゆく過程に生まれ消えたあだ花。時代の流れによっては第二、第三の大滝詠一として現代の若者にも広く受け入れられたのではないだろうか。

・おまけ:より本格的なカントリータッチといえば吉田拓郎である

https://youtu.be/StBPqA1TGpA
しょっぱなから最後まで初志貫徹の気合の編曲

https://youtu.be/pd4EEmT50iE
阿久悠パウワァー炸裂の詩 編曲はみんな大好き鈴木茂 ぐだぐだなのを吹き飛ばすデビュー2日目の石野真子のパウワァー

チカカクヘイキ

会社へ向かっている途中、聞きなれない言葉を聞いた。「チカカクヘイキガハッケンサレマシタノデ・・・」駅のアナウンスがそう言っていたのである。関東に梅雨入り宣言が出されてすでに一週間はたっていたが、まったく雨は降っていなかった。ぼくはいつも寝室の窓を開けて寝ているが、その日は朝方から空気が冷たく、降雨を予想していたので、傘を持って出かけた。どこにでも売ってあるような透明のビニール傘だった。それは持ち手と骨組みだけが黒で、ビニールはいくぶんくすんで白く曇っているようだった。電車に乗って、買ったばかりのオーディオ・テクニカルのヘッドホンでザ・キンクスを聞きながら車窓を眺めていた。空は薄く曇り、いつ雨が降り出してもおかしくなかった。こういう日はイギリスの古いロックバンドを聞くに限る。ぼくが聞いていたアルバムはキンクスがまだデビューしたばかりのころのもので、のちに発揮されるレイ・デイヴィスのたぐいまれなメロディセンスはまだ全面的にその素朴で良心的で懐古的な魅力を開花させてはいなかった。でも陰鬱な仕事に向かっているときに聞く美しい音楽はあまりに美しすぎてぼくをあまりにも遠くの地平まで連れ去ってしまう。ぼくは初期キンクスのばらけたバンドサウンドを聞くともなく聞きながら一日の仕事の流れを最初から最後までイメージしてみた。それは困難な障害と意味の無い気鬱がそこかしこに散りばめられた長い長い道のりだった。電車内にはぼくと同じように憂鬱が頭の中に染み込んだような表情の無い顔つきをしたサラリーマンがカーブの振動のたびに揺られていた。いつも見かける顔も見受けられた。ぼくらはいつまでもこのように毎朝電車に揺られて気の進まないままに都心まで運ばれていくのだろうと思った。電車が新宿についた。その瞬間、ぼくの鼓膜は破れ、気を失った。あらゆるものがぼくめがけて飛んでくるのを見たような気もする。意識を取り戻した今も、体は動かない。ぼくは今自分がどこにいるのかも、わからない。

夏の日のソール・ライター、あるいは世界初の古本DJの誕生について

ゴールデンウィークに端的に言って暇だったので駄文を書いていた。そのまま削除するのはもったいないような気がするし、保存しておくにもPCの容量がもったいないのでここに記載しておくことにした)

 

高田渡のライブ゙映画になぎら憲一がゲストにきてトークするというので、渋谷まででて、宇田川町の奥のアップリンクというミニシアターまで向かった(かつて興隆を極めたミニシアター…今では細々とだが粘り強く生きているのは数箇所のみなのだろか)。まだ午前10時を回ったくらいで陽は上りきっていなかったが、暑さが肌の下にじんわりとしみ込んでくるようだった。渋谷駅から宇田川町まではセンター街を通って15分ほど歩く。朝のセンター街からは酒と吐瀉物と糞尿の臭いがした(特に誇張ではなくセンター街は本当にそんな臭いがす日がある)。

チケットは売り切れていた。電車の中で確認したときにはまだ残っているはずだったが、入れ違いになったようだった。ぼくは再度上映スケジュールを見て、次の日曜日には小室等がゲストとして登壇するとあったので、その回に見ようかと思った。

宇田川町のあたりには朝食をとれる店がなかった。カフェ・ヴェローチェはあったがパン類がお世辞にもうまいとはいえない店なので、センター街を引き返してカフェ人間関係でスコーンを食べた(とはいえ、この店のスコーンも大してうまくはない)。

人間関係という名のカフェを知ったのはぼくが18歳で東京に出てきたばかりのころだった。18歳の田舎からきた青年がこの店名を見たときに受けた衝撃は相当なものだった。この店に休みの日の朝に来ると明らかに栃木や埼玉からきたと思しき派手な格好をした若い女性達が何組か連れ立って、いつもレジに並んでいる。ぼくはスコーンを食べながらスマートホンでアップリンクの上映スケジュールを眺めていた。どこか左翼的なラインナップといった印象を受けた(ぼくは左翼という言葉をちゃんと理解していない。なんとなく雰囲気で使っている)。

せっかく渋谷まできたので東京BUNKAMURAで開催されていたソール・ライターという写真家の展覧会を観にいくことにした(この名前にはAOR系の優れたスタジオ・ミュージシャン、おそらくはキーボーディスト、といった趣があるようだ)。その前に少しばかり宇田川町にあるブックオフに寄った。引越しの際に夏目漱石の「吾輩は猫である」がぼろぼろになっていたので捨ててしまっていたが、久しぶりに読みたくなった。でも意外なことに在庫がなかった。たいていのブックオフには我輩は猫であるは1冊や2冊の在庫はあるような気がしていた。その代わりに「こころ」が装丁違いで何冊もあった。取とりあえず買ってみて、読みきらなかったから売った客が多いのだろう。

BUNKAMURAに入る前に近くのフレッシュネス・バーガーでチーズバーガーと生ビールでランチをして、ソール・ライター展を回った(BUNKAMURAという名称には田舎者をカモにしようとする魂胆があるように思える。「BUNKAMURA ザ・ミュージアム」は比較的ハイソな美術館だ(東急の本店に隣接しているが、ぼくのイメージでは、東急本店は幼稚園受験に親子揃いで着用するフォーマルウェアを購入するべき場所です)。もちろん上野動物園あたりの美術館などのように地方からのおのぼり組が大挙して押し寄せることはないのです(でも今日は明らかに背伸びした学生か、フリーターか、みたいな若者もいた。彼はニルヴァーナのTシャツにミリタリーパンツをあわえてその上にひげ面だった)。

ソール・ライターに関して言えば「リリカル」な「詩情」をもった色彩の魔術師といった印象を受けた。しかしいかんせん作風にキャッチーさが欠けていた。それが素人でも名前を知っているブレッソン、エルスケン、ロバート・フランクダイアン・アーバス、あるいはキャパといった写真家との大きな違いだろう。

 

展覧会を見終わってもまだ15時を回ったくらいだった。まだ時間をもてあましていたのでルノワールに入って吾輩は猫であるの気に入っていたページを探して読んでいた。ぼくは長時間同じ椅子に座っているのがとても苦手だ。限界がきたのは17時前だった。

 

思いつきで自由が丘へ行ってみた。自由が丘であればなにはなくても大型のブックオフがあるから有意義に時間を使えるのだ。駅につくと、フェスでやっているような入場管理用のリストバンドのようなものをつけている若い人たちが目に付いた(とはいってもそこは自由が丘、20代前半の若者というより、小さい子供がいそうな30代ぽい人々が多かった)。それとなく彼らの足取りを追っていると、ブンブン低音が聞こえてきた。駅から3分もかからない駐車場で、DJパーティが行われていた。ポスターを見るとみそしるとご飯なる人々がDJをしているようだった。陽が落ち始めて、冷たい風がぼくのほおをなぜた。とても気持ちのよい夏の夕暮れだった。ぼくもビールを買って駐車場の中でDJがセレクトしたビートに体を任せればどれほど心地よかったことだろう。でもぼくは一人だったし、まるで不必要などでかいリュックを背負っていた。ぼくはパーティーへ参加することをあきらめた。それで駐車場を離れて自由が丘の路地をぶらぶら歩いた。でもDJのビートと人々の嬌声はどこまでも風に乗ってきてぼくの耳から離れなかった。街中がみそしるとごはんのビートに包まれているようだった。たまらなくなってぼくは駐車場まで戻っていった。すると駐車場のすぐそばに古本屋があった。そこはちょうどステージに置かれたスピーカーの真向かいになっていた。店先には100円の文庫本がぎっしりと並んだ台があった。ぼくは古本をあさるふりをして音楽を聞くことにした。それはえにもいわれぬ心地よい体験だった。みそしるとごはんたちのビートにあわせて体を上下しながらぼくは文庫本をDIGした。陽がほとんど落ちてきて、風はますます冷たくなり、最高度に心地よかった。数年前に亡くなった川勝正幸のポップ中毒者の手記をはじめて、掘り出し物が何冊か見つかった。ぼくはまさに古本DJと化していた。世界で始めて、古本DJが誕生した瞬間だ、とぼくは思った。いつの間にか陽が落ちて空がその明るさを失い、駐車場と路地と古本屋の軒先の灯りと、みそしるとごはんのビートだけがぼくを包んでいた。

2017年の資料性博覧会(ぼくのゴールデンウィークの思い出)

ゴールデンウィークに端的に言って暇だったので駄文を書いていた。そのまま削除するのはもったいないような気がするし、保存しておくにもPCの容量がもったいないのでここに記載しておくことにした)

・ぼくはだめな人間だ。


・だめというのはぼくという人間のある一面、もしくは、複数の面に関してであり、ぼくのすべてがだめであるということではない(ぼくという人間にも、倫理的に正しいと思われる面や、能力的に一般的な水準に劣っていない面があるとは、少なくともぼく自身には、思われるし、客観的にも、幸いに、ある種の試験の結果や、ぼくに関わってきた複数の人々の証言から、否定できないと思う)。


・ぼくのだめな面は、ぼくがずっと若いころ、それこそ幼稚園に入ったころから、不変なようである。つまりぼくは、人見知りで、引込み事案で、ものごとに継続に取り組んだり、なにごとかを成就させる意思と能力に乏しく、注意が散漫で、お金の無駄遣いが多すぎる。

 

・ぼくのこういった欠点は、ぼくの人生にある種致命的な問題を引き起こしてきた。

 

・ぼくは、いわゆるオタクと呼ばれる人々にあこがれる。

 

・それは、彼らの見た目や、ときに揶揄される言動などの、外面的なことにあこがれているのではない(ぼくは、いわゆるオタクと呼ばれる人々について、世間に膾炙したイメージに乗っかってしまっているが、むしろそうでない人々の方が多数ではないかとも考えている)。

 

・ぼくがあこがれているのは、彼らの一途な情熱、行動量、購買力、独立心、好奇心の対象を同じくする仲間との活発なコミュニケーションなどについてだ。

 

・ぼくは、ぼくの欠点によって、ひとつところにいられない体になってしまったし、じっくりと本を読み続けることもできない。

 

・そこで今日も、とりあえず部屋を出て、新宿へ向かった。最近、歌舞伎町の奥のエリアを、ようやく、強い恐怖心に足がすくむこともなく、歩けるようになった。今日もぼくは、エロスとヴァイオレンスの残り香が立ち上るあのあたりのエリアを散歩し、その刺激を肌で感じるのを楽しみに、とりあえず行ってみたいと思ったのだった。ホストクラブの馬鹿でかいネオンサイン、かち割られたまま放置されている看板、あるときは雑然と、あるときは整然と並ぶ大量のゴミ袋、酒と吐しゃ物の臭い、ボディコンシャスなドレスに身を包んだワンレングスのアジア系女性、そういったものが、なにか人生や社会というものに(過度にソフィスティケイテッドされた現代社会の大部分などよりも相応程度シンプルなものであるとはおもうけど)、感覚的に触れているという気にさせてくれるからかもしれない(ぼくが部屋をでて電車に乗って最初にしたことはスマートホンでゴールデンウィークに東京で開催されている催し物を調べることだった。もしそこになにかぼくの気を惹くものがあればこんなゴールデンウィークの真ん中にわざわざ歌舞伎町を散歩しようなどと考えてなかったかもしれない。でも東京で行われている催しは多くの種類のビールが飲める祭りだとか肉が食える集まりだとかそういった実にくだらないものばかりだった。控えめにいってぼくは東京の文化度の低さに反吐がでそうになった。今思えばぼくが見たWEBサイトが良くなかったのかもしれない)。

 

・新宿にきたのはよいが、新宿には昨日もきていたので、なんだかやるせない気がした。そこでツイッターを眺めていたら、資料系博覧会という同人誌即売会中野サンプラザで行われていることを知り、カレーを食べて中野へ向かった。

 

・とはいえ、ぼくはかつて同人グッズの即売会に足を踏み入れたことがあったが、特になにかを買う予定はたてていなかったしブースに座っている人々に左右から一挙手一投足を監視されているような気がして誰にも話せずにすぐに出たことがあった。今回も同様の状況になることが容易にイメージできたので、気が重かった。そこでまずは久しぶりに中野にきたということもあり、中野ブロードウェイを一回りしてみることにした。空は気持ちよく晴れていたが中野ブロードウェイへの道すがらはア-ケードの商店街を通っていったのであまり陽光の恩恵にあずかれなかった。

 

中野ブロードウェイにはさすがに濃密な店舗が展開されていた。ぼくはまず3階までエスカレーターであがってまんだらけから回り始めた。しかしお金がないので気になるものがあっても買うことはできなかった(上村一夫安部慎一の漫画など買ってみたかった。そういえばこの前GINZA SIXの蔦谷書店に行ったとき安部慎一美代子阿佐ヶ谷気分が置いてあった)。まんだらけの買取コーナーには多くの人々が漫画や玩具をもって並んでいた。中にはみかん箱を何箱も床に重ねている人もいた。ロボットの玩具をむき出しでもってきている人もいた。いらいらしている中年の男に店員の女の子がゴールデンウィークは買取が込み合う時期なのでと言っていた。そのあたりだけが妙に汗臭かった。他にもCD屋や、サブカル界隈で有名なタコシェという本屋を見た。CD屋はニューウェイブテクノポップの在庫が非常に充実していた。ヒカシュープラスチックスフリクション、TACOといった有名どころはもとより、ゼルダのアルバムがそろっていたのには驚いた。ぼくは信念をもって経営されているこの店で買い物をすることで少しでも売上に貢献したかった。なによりもゼルダの初期のアルバムを聞いてみたかった。でも使えるお金はなかった。ぼくはとてもふがいなく情けない気持ちになった。まっとうに働いてきたどころか、残業も少ない時でも月に40時間はしていたのに、中古CDの1枚も心置きなく帰る金が手元に残っていないというのはなんとも悔しかったが、ないものはないので致し方なかった。また、三島由紀夫を中心に日本の戦後文学、アングラ演劇、幻想文学、のラインナップがかなり充実していた古本屋もあったこともここに記しておく。ぼくは買い物できなかったが、好事家の方にはぜひとも足を運んでいただき、商品を購入していただいたりして、こういった店にはずっと続いてもらいたい(しかし本も音楽もデータで手軽に、安く、また場所をとることがなく手元に置いておける時代に、CDや本はいつまで必要になるだろうか。一方でレコードの売上が伸びているという話もあるが、それは一部の物好きの金持ちが余った金を慈善事業に回してしているようなものかもしれない。なんにせよこれまでとはまったく違ったお金の回り方になってきつつあると思う)。

 

・考えてみれば中野サンプラザの雄姿は中野にくるたびに眺めてもののその中に入るのは始めてなった(ぼくの友人に中野に住んでサンプラザの結婚式場でアルバイトをしていたという明大生がいた)。サンプラザではいくつかのイベントが同時に開催されていた。まんだらけのオークションとカントリーガールズというアイドルのライブ(ももち引退などど書いてあった)と、ぼくがツイッターで見かけた資料性博覧会だった。サンプラザの一階の天井は外から見たとおり斜めになっていて硝子張りで、太陽の光がそのまま届いていた。内装が白を基調にしていることもあってまるで外にいるような明るさで、まさにサンプラザといった様相だった(日本には○○サンプラザがいくつかあるらしく、ツイッターで検索しただけでも栃木と札幌にあるのを観測した。それらも中野サンプラザのように陽光がさんさんと降り注ぐような建物なのだろうか。古い洋館などにはサンルームという部屋がよく見かけられる。また洋館ではないが奈良に志賀直哉が自身で設計した旧居が残っており建物全体も瀟洒で美的であったがそのサンルームはとりわけ素敵であった。その建物は近隣にある奈良文化女子短期大学のセミナールームとしても使用されており端的に言ってひどくうらやましい)。フロアにはアイドルのライブの開場を待つ人々が並んでいた。その列は外にも続いていた。かなりの人数だったが整然と並んでいた。ぼくは外に出てみた。グッズ販売や着替えのためのテントがあって、アイドルのファンらしき人々がたむろしておのおのグループになって喋っていた。若い人も中高年も、男も女もいた。なぜかしらももクロのTシャツを着ている人もいた。また、自作と思しき、低画質でアイドルの顔写真をプリントしたTシャツを着ている人もした。ぼくは驚いた。それは様々な年齢、性別の人が集まっていることもそうだったし、彼/彼女らのほとんどがクグループやあるいや2人組みで仲良く談笑していることだった。彼らはどこで知り合うのだろうか。ライブ会場だろうか。年齢の性別に隔たりがあるのに仲がよさそうな一団もいた。彼らがうらやましかった。背景となる生活は大きく違うだろに、アイドルのことで楽しそうに話していた。ゴールデンウィークのさんさんとした陽光に祝福されながら穏やかに幸福な時間を享受していた。一人でいるのはぼくくらいだった。ぼくはスマートホンを片手に話さずに広場を一周してみた。でもやはりみんな楽しそうだった。それでぼくは建物に入ってエレベーターで資料性博覧会の会場フロアまでむかった。

行かなければよかったのに日記 2017年の東大五月祭

東京大学の五月祭へ行ってきた。


お昼の前に本郷三丁目の駅に着いた。とんでもない人手と暑さだった。早くもうんざりした。腹がへっていたので、駅前の名曲喫茶にはいった。外は夏なのに、梅雨時の押入れみたいな感じがした。隣のテーブルにおじさんとおばさんが座っていた。すこしたって、その息子と嫁らしい二人連れがきた。またすこしたって、また新しい二人連れがきた。その後でさらにもう一組、新しい二人連れがきた。みんな兄弟で、パートナーを連れてきたみたいだった。みんな若かった。おじさんは、官僚らしかった。俺のひとつ年上のどこそこの政治家はうんぬん、みたいな話をした。みんな育ちがよさそうだった。ぼくはなんだかいやになった。

 

東大へ行った。キャンパス内はもっとひどい人手だった。実はぼくは昨日もきていたけど、見物の途中で帰ってしまっていた。それで、もっと見たいものがあると思って今日もきた。でも人の多さにうんざりしてしまった。お芝居をやっているらしかったが、開始時間までは一時間半ほどあった。ぼくは一人だったので、ぼくに居場所はないように思われた。キャンパスを出て、近くのカフェで時間をつぶした。


時間になったので芝居を観にいった。よくわからない芝居だった。若さだな、と思った。やることがなくなったので、東大をでた。


御茶ノ水の中古CD屋さんまで、暑い中を歩いていった。でも店は閉まっていた。午後二時くらいだった。ひどい暑さだった。がんばって秋葉原まで歩いた。ブックオフへ行った。でも何も買わずに店を出た。時間を無駄にしてしまった。疲れたのでカフェに入った。でもまわりがうるさかった。関西弁のおばさん二人組みとぶつぶつ独り言を言っているスーツのおじさんにはさまれてしまった。すぐに店を出た。もう一度ブックオフに寄った。でもやっぱりなにも買わなかった。


電車に乗って上野御徒町まで行った。夏の服がなかったので、買いたかった。ポロシャツを買った。近くにブックオフがあったので寄った。でもやっぱりなにも買わなかった。

労働に価値を見出せる人間がどのくらいいるのだろうか

1910年ごろにイギリスで出版されたとある本を読んでいたら、次のようなことが書いてあった。

 

「特別な人間でない限り、自分の仕事に情熱を燃やして"いない"。よくても"嫌いではない"というくらいで、仕事に全力投球するといったことは"まずない"」

 

こういったことが、声高に主張されるのではなく、"ごく当然の事実"として、簡潔に書かれていた。

 

ぼくはそれを見つけて、ひどく安心した。

 

なぜなら、ぼくも"その本に書かれた普通の人間"であり、そのために、現代の日本に生きる30代の男性として、とても苦しい思いをしているからだった。

 

いわゆる、"意識の高い言葉"が、(すくなくともぼくが目にする範囲で)、まるで傘のように社会を覆っている。

 

本屋に行ったら必ずといっていいほどビジネス書のコーナーが目立つ一角にあり、就職サイトや転職サイトではどの企業の求人を見ても、 高邁な志を持った人間を求めている。

 

まるでぼくのような人間は、働く資格がない人間のように思われる。

 

ぼくは、働くことに、価値を見出せない人間だ。

 

金を稼ぐためだけに、仕方なく、働いているに、すぎない。

 

だいたい、人間の全活動のうち、"労働"となりうる行動、つまり、金を稼ぐことのできる行動が、どのくらい、あるだろうか。それは、人間の全活動のうち、ほんの一部にしか、過ぎないではないか。

 

ぼくは、本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたり、歴史を知ったり、ものを考えたり、街を眺めたりするのが、好きだ。そういったことに、生きる価値を見出している。

 

仕事のような無味乾燥なものに、価値を感じられるわけがない。

 

現代の日本においても、ぼくのような"普通の人間"が多いことを、願っている。

ニコニコ超会議にひとりぼっちで行くのにもそろそろ限界がきたかもれないという話

ここ4年間、ゴールデンウィークの始まりにはなんとか都合をつけてニコニコ超会議へ参加するようにしてきた。

最初は友達に誘われて軽い気持ちで
参加した。薄暗い幕張メッセのホールの中で躁状態で騒ぐ人々たち(若い人が多かったが年配の人もいた)の間でぶらぶらと広い会場内を歩き回るだけでも、物珍しく楽しかった。ぼくを誘ってくれた友達は二度と参加することはなくなったが、それでもぼくは参加し続けた。

会議のコンテンツは年々少しづつ変わっていった。正確に覚えているわけではないが、大相撲超会議場所が始まり、超歌舞伎が始まり、参加政党の数が増えたり減ったりした。山本太郎と直談判できるような年もあったと思う。

ぼくは普段からニコニコ動画を見るような熱心なユーザーではなかったので(それどころかニコニコ動画を見ることは年に数時間もないほどだった)、正直に言って、目的のブースなんかなにもなかった。ただ、インターネットの世界で相当程度広まっている(と僕は感じたのだ)、ニコニコの""文化""なるものに、あのカオティックな環境で触れられて、お祭り的な狂騒を感じることができれば、それでよかった(入場料があと1,000円高かったらぼくはこんなに熱心に足を運ばなかったと思う。ある種の試供品のようなサーヴィスがそれなりの値段で提供されていることも重要だった)。

毎年、コスプレの推奨エリアが好きだった(その近くには喫煙所があり、以前ひろゆき氏が一般の来場者にまじって煙草を吸っていたことがあった)。今年もぶらっと歩いてみたが、なんだかコスプレイヤーに対して写真を撮る人(カメコ)が少ないように思えた。カメコがくるのを暇そうに待っているコスプレイヤーもいた。去年みたいにカメコが大挙して列をなしているコスプレイヤーもあまりいなかった。

ミニスカートをはいた女性のコスプレイヤーがいた。黒ストッキングをはいてはいたが、ぼくは""パンツ""が見えてしまうのではないかと危惧した。彼女はしゃがんだ、特に下半身を手で隠すようなこともしなかった。そのとき、ぼくは確かに、パンツの色彩が黒いストッキングを通して目に飛び込んでくるのを感じた。カメコは写真を撮り続けていた。

このような、コスプレにおける性的な露出現象が世間を騒がせたときのことをよく覚えている。そのときはもっと過激で、秋葉原歩行者天国で女性が足をあげてパンツが丸見えの様が撮影できるようになっていた(ぼくの記憶に間違いが泣ければ)。あっという間にその話は広がったが、なんらかの規制が入って、そういった露骨なエロスは禁じ手になったらしい。

しかし、今日においても、多少パンツを露出するくらいのことはまだ可能なのであることをぼくはその日理解した。そしておそらくは、女性はそれを呼び物のひとつとしてカメコを呼びよせ、カメコは撮影の一連の流れの中で""パンチラショット""を自然に、しかし意図的に撮影しているのだろうとぼくは考えた。ぼくにはそういったことが倫理的に悪いことだと即断することはできないが(性的な魅力の利用は程度を問わなければそこかしこで見受けられるし、ぼくにはなんの権限もない)、ただ、収賄現場をたまたま目撃してしまったような居心地の悪さを感じた。

それとは別に、コスプレイヤーの中には、誰一人としてカメコから声をかけられないような人々もいた。多分理由は明らかで、彼らのコスプレには人々を驚かし、カメラを向けさせるような圧倒的なクオリティや、新しいアイデアといったものがなにもなかったのだ。ぼくはそういったまるで石ころのようなコスプレイヤーの人々に哀れみに近いものを感じた(彼らの才能や努力不足が原因であるとは思った)。

一部のホールではマニアックなジャンルの即売会や展示会も行われていた。ぼくはそういったものにとても強く心を惹かれた。でも、一人でいてはなにか話しかけられたときにぼくの関心の薄さが明るみになって(ぼくはなにかに一時的に強く興味をひかれても対象物を間近にみたりするとそれだけで満足してしまい関心が薄まることがよくある。また鑑賞時に話しかけてきそうな人が近くにいると緊張のあまり対象物に対して思考を巡らすことができなくなるのでなにも考えていない=ただの冷やかしにきたぼっちの暇人のように思われてしまう)、不快な思いをさせてしまうのではないかと考えるだけで、あまり近くに寄れなくなってしまう。

そういったわけで、コスプレイヤーの自意識について考えてしまうし、自分が興味をもった珍しい展示会などにも足を向けられないので、そろそろ、きつくなってきたかな、と思った。

幕張メッセを出ると、どこまでも青く透き通った美しい空が、ぼくの頭上いっぱいに広がっていた。