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東京ちんこ日記

生。社会。すべてが、ちんこ。

行かなければよかったのに日記 2017年の東大五月祭

東京大学の五月祭へ行ってきた。


お昼の前に本郷三丁目の駅に着いた。とんでもない人手と暑さだった。早くもうんざりした。腹がへっていたので、駅前の名曲喫茶にはいった。外は夏なのに、梅雨時の押入れみたいな感じがした。隣のテーブルにおじさんとおばさんが座っていた。すこしたって、その息子と嫁らしい二人連れがきた。またすこしたって、また新しい二人連れがきた。その後でさらにもう一組、新しい二人連れがきた。みんな兄弟で、パートナーを連れてきたみたいだった。みんな若かった。おじさんは、官僚らしかった。俺のひとつ年上のどこそこの政治家はうんぬん、みたいな話をした。みんな育ちがよさそうだった。ぼくはなんだかいやになった。

 

東大へ行った。キャンパス内はもっとひどい人手だった。実はぼくは昨日もきていたけど、見物の途中で帰ってしまっていた。それで、もっと見たいものがあると思って今日もきた。でも人の多さにうんざりしてしまった。お芝居をやっているらしかったが、開始時間までは一時間半ほどあった。ぼくは一人だったので、ぼくに居場所はないように思われた。キャンパスを出て、近くのカフェで時間をつぶした。


時間になったので芝居を観にいった。よくわからない芝居だった。若さだな、と思った。やることがなくなったので、東大をでた。


御茶ノ水の中古CD屋さんまで、暑い中を歩いていった。でも店は閉まっていた。午後二時くらいだった。ひどい暑さだった。がんばって秋葉原まで歩いた。ブックオフへ行った。でも何も買わずに店を出た。時間を無駄にしてしまった。疲れたのでカフェに入った。でもまわりがうるさかった。関西弁のおばさん二人組みとぶつぶつ独り言を言っているスーツのおじさんにはさまれてしまった。すぐに店を出た。もう一度ブックオフに寄った。でもやっぱりなにも買わなかった。


電車に乗って上野御徒町まで行った。夏の服がなかったので、買いたかった。ポロシャツを買った。近くにブックオフがあったので寄った。でもやっぱりなにも買わなかった。

労働に価値を見出せる人間がどのくらいいるのだろうか

1910年ごろにイギリスで出版されたとある本を読んでいたら、次のようなことが書いてあった。

 

「特別な人間でない限り、自分の仕事に情熱を燃やして"いない"。よくても"嫌いではない"というくらいで、仕事に全力投球するといったことは"まずない"」

 

こういったことが、声高に主張されるのではなく、"ごく当然の事実"として、簡潔に書かれていた。

 

ぼくはそれを見つけて、ひどく安心した。

 

なぜなら、ぼくも"その本に書かれた普通の人間"であり、そのために、現代の日本に生きる30代の男性として、とても苦しい思いをしているからだった。

 

いわゆる、"意識の高い言葉"が、(すくなくともぼくが目にする範囲で)、まるで傘のように社会を覆っている。

 

本屋に行ったら必ずといっていいほどビジネス書のコーナーが目立つ一角にあり、就職サイトや転職サイトではどの企業の求人を見ても、 高邁な志を持った人間を求めている。

 

まるでぼくのような人間は、働く資格がない人間のように思われる。

 

ぼくは、働くことに、価値を見出せない人間だ。

 

金を稼ぐためだけに、仕方なく、働いているに、すぎない。

 

だいたい、人間の全活動のうち、"労働"となりうる行動、つまり、金を稼ぐことのできる行動が、どのくらい、あるだろうか。それは、人間の全活動のうち、ほんの一部にしか、過ぎないではないか。

 

ぼくは、本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたり、歴史を知ったり、ものを考えたり、街を眺めたりするのが、好きだ。そういったことに、生きる価値を見出している。

 

仕事のような無味乾燥なものに、価値を感じられるわけがない。

 

現代の日本においても、ぼくのような"普通の人間"が多いことを、願っている。

ニコニコ超会議にひとりぼっちで行くのにもそろそろ限界がきたかもれないという話

ここ4年間、ゴールデンウィークの始まりにはなんとか都合をつけてニコニコ超会議へ参加するようにしてきた。

最初は友達に誘われて軽い気持ちで
参加した。薄暗い幕張メッセのホールの中で躁状態で騒ぐ人々たち(若い人が多かったが年配の人もいた)の間でぶらぶらと広い会場内を歩き回るだけでも、物珍しく楽しかった。ぼくを誘ってくれた友達は二度と参加することはなくなったが、それでもぼくは参加し続けた。

会議のコンテンツは年々少しづつ変わっていった。正確に覚えているわけではないが、大相撲超会議場所が始まり、超歌舞伎が始まり、参加政党の数が増えたり減ったりした。山本太郎と直談判できるような年もあったと思う。

ぼくは普段からニコニコ動画を見るような熱心なユーザーではなかったので(それどころかニコニコ動画を見ることは年に数時間もないほどだった)、正直に言って、目的のブースなんかなにもなかった。ただ、インターネットの世界で相当程度広まっている(と僕は感じたのだ)、ニコニコの""文化""なるものに、あのカオティックな環境で触れられて、お祭り的な狂騒を感じることができれば、それでよかった(入場料があと1,000円高かったらぼくはこんなに熱心に足を運ばなかったと思う。ある種の試供品のようなサーヴィスがそれなりの値段で提供されていることも重要だった)。

毎年、コスプレの推奨エリアが好きだった(その近くには喫煙所があり、以前ひろゆき氏が一般の来場者にまじって煙草を吸っていたことがあった)。今年もぶらっと歩いてみたが、なんだかコスプレイヤーに対して写真を撮る人(カメコ)が少ないように思えた。カメコがくるのを暇そうに待っているコスプレイヤーもいた。去年みたいにカメコが大挙して列をなしているコスプレイヤーもあまりいなかった。

ミニスカートをはいた女性のコスプレイヤーがいた。黒ストッキングをはいてはいたが、ぼくは""パンツ""が見えてしまうのではないかと危惧した。彼女はしゃがんだ、特に下半身を手で隠すようなこともしなかった。そのとき、ぼくは確かに、パンツの色彩が黒いストッキングを通して目に飛び込んでくるのを感じた。カメコは写真を撮り続けていた。

このような、コスプレにおける性的な露出現象が世間を騒がせたときのことをよく覚えている。そのときはもっと過激で、秋葉原歩行者天国で女性が足をあげてパンツが丸見えの様が撮影できるようになっていた(ぼくの記憶に間違いが泣ければ)。あっという間にその話は広がったが、なんらかの規制が入って、そういった露骨なエロスは禁じ手になったらしい。

しかし、今日においても、多少パンツを露出するくらいのことはまだ可能なのであることをぼくはその日理解した。そしておそらくは、女性はそれを呼び物のひとつとしてカメコを呼びよせ、カメコは撮影の一連の流れの中で""パンチラショット""を自然に、しかし意図的に撮影しているのだろうとぼくは考えた。ぼくにはそういったことが倫理的に悪いことだと即断することはできないが(性的な魅力の利用は程度を問わなければそこかしこで見受けられるし、ぼくにはなんの権限もない)、ただ、収賄現場をたまたま目撃してしまったような居心地の悪さを感じた。

それとは別に、コスプレイヤーの中には、誰一人としてカメコから声をかけられないような人々もいた。多分理由は明らかで、彼らのコスプレには人々を驚かし、カメラを向けさせるような圧倒的なクオリティや、新しいアイデアといったものがなにもなかったのだ。ぼくはそういったまるで石ころのようなコスプレイヤーの人々に哀れみに近いものを感じた(彼らの才能や努力不足が原因であるとは思った)。

一部のホールではマニアックなジャンルの即売会や展示会も行われていた。ぼくはそういったものにとても強く心を惹かれた。でも、一人でいてはなにか話しかけられたときにぼくの関心の薄さが明るみになって(ぼくはなにかに一時的に強く興味をひかれても対象物を間近にみたりするとそれだけで満足してしまい関心が薄まることがよくある。また鑑賞時に話しかけてきそうな人が近くにいると緊張のあまり対象物に対して思考を巡らすことができなくなるのでなにも考えていない=ただの冷やかしにきたぼっちの暇人のように思われてしまう)、不快な思いをさせてしまうのではないかと考えるだけで、あまり近くに寄れなくなってしまう。

そういったわけで、コスプレイヤーの自意識について考えてしまうし、自分が興味をもった珍しい展示会などにも足を向けられないので、そろそろ、きつくなってきたかな、と思った。

幕張メッセを出ると、どこまでも青く透き通った美しい空が、ぼくの頭上いっぱいに広がっていた。

新幹線のチケットを買うのに5,800円かけて新幹線の駅へ向かった

ぼくは働いていて、ゴールデンウィークの半ばの出勤日に、大阪までの出張が入っていた。でもその日は一件しかアポイントメントがなかった。出張の前日、僕は新幹線のチケットを買いに駅に行った。その時に、他のアポイントメントもないのに出張するのはまずいと思った。でもすでに、スーパーカーという会社にアポイントメントを取ってしまっていたのでどうしようもなかった。ぼくは同名のバンドのことを思い出していた。

 

新幹線のチケットは新幹線の発着駅でしか買えないと聞いていた。僕はどこかの路線から乗り入れて山手線の駅に着いた。その駅では新幹線のチケットは買えなかった。だけど、その駅から新幹線に乗ることはできた。そこで、新幹線に乗って新幹線のチケットが買える駅に向かった。目的の駅は山手線内にあった。新幹線に乗ったら1分とたたずについてしまった。それで5,800円位かかった。僕は無駄な出費に頭を痛めた。目的の駅には土産物売り場があった。建物の一階フロア全体がそうなっていた。新幹線のチケットの販売機がその中にあった。ぼくはそこに並んで順番が来るのを待った。

2017年の憲法集会(5月3日)

なにもすることがなかったので、新宿まで出て、ベルクという店でカレーセットを食べた。ぼくがレジに並んでいる間にモーニングセットの時間が終わったので、仕方なくカレーセットを食べた。でもそれはそれでうまかった。ぼくは久しぶりにベルクのカレーセットを食べた。カレーについてくるコーヒーはブレンドコーヒーにした。世の中にはいろいろな味のコーヒーがあるが、ぼくは酸味が強いものは苦手である。ベルクのコーヒーはそうではないタイプであるので好きだ(タイプ、という言葉をコーヒーに関して用いるのは自分のコーヒーに対する愛着や知識のなさや、あるいは単純に語彙力のなさを露呈することになりそうであるが、致し方ない)。


ベルクは新宿駅の東口のすぐそばにある。新宿駅の東口へ入るには地上から地下へ階段を下りなくてはならない。ベルクはその地下への階段を下りてすぐそばのところにある。だからぼくがベルクを出たとき、東口の地上の広場で(それはちょうど笑っていいともで有名なスタジオアルタの目の前にある)、憲法記念日ということでどこかの政党(おそらく自民党ではないだろう)が憲法についての街頭演説を行っていたとしてもおかしいことではなかった。ベルクを出て最初に耳に入った騒音がそれだった。


ぼくはなにをするか決めかねていた。今日という一日をどう過ごすか明確にプランをたててはいなかった。それどころか、自分がいったいどういう人間かも本当には分かっておらず、どういった欲求を抱いていて、どういったきっかけでどのような欲望が喚起されるのかに関しても無知を極めているのに等しい状態だった。新宿にはぼくが普段訪れる場所がいくつかあった。それはイタリアントマトカフェジュニアの地下にあるJAZZ喫茶のDUGだったり中古レコード屋だったり時代遅れになりつつあるテイストの服屋だったりした。でもぼくはそういった自分にとっていわゆる定番となっている場所に行くのはどういうわけだか気が進まなかった。それはきっと今日が世間的にいうゴールデンウィークであるからだった。ぼくの知り合いにはロックフェスに行ったり旅行に行ったり飲みに行ったりしている人がたくさんいた(ぼくはそういったものをすべてFacebook経由で知った。友達とは言っても特に交友がないからである)。理想はともなく、現実的にはぼくは人間が平等だとはまったく考えていないが、それでも、知人らのそのような全世界に向けた様々なとても愉快な報告が、ぼくに、いつもと変わらないさえない時間のつぶし方への嫌悪感のようなものを催させた。ぼくもどこか新しくこれまでに知らない素敵な場所に行きたくなった。でもそんな場所がいったいどこにあるのかぼくには見当がつかなかった(ノウハウさえあればこの世界の大体の情報に瞬時にアクセスできるスマートホンという道具を多くの人々と同様にぼくも所持しているのだが、ぼくが本当に求めている情報を得るにはなにをどこから探せばいいのだか、ぼくはいまだに良く分かっていない)。

 

歩き出してから目的の場所を決めるのは面倒なので、ぼくはとりあえずスマートホンを開いてtwitterを見た。すると、有明のビックサイトあたりが、憲法集会と、それをけん制する右翼の街宣車と、コミックシティなるイベントの三つ巴で、阿鼻叫喚の様相を呈しているという情報が流れてきた。それで、暇だったので、ぼくはりんかい線国際展示場駅を目指した。新宿まででてきたのはまったくの無駄になった。

 

大崎まで山の手線で出てりんかい線に乗り換えたら、それはひどい混み具合だった。twitterで見たとおり、スーパーコミックシティに向かう女性の漫画ファンと、憲法集会に向かう年配の左翼で車両はすし詰め状態で、呼吸をするにも苦しいくらいだった。女性達は慣れているのか諦めているのか比較的静かだったが、老人たちは口々にすごいだの痛いだのと文句を言っていた。これは彼らのうちそこそこの数が地方から今日の憲法集会のために上京してきたこともあると思う(もしかしたらそもそも電車に乗ることすら珍しいのかもしれない)。かわいそうだったのはお台場あたりで休日を過ごそうとしていたらしい普通の家族連れで、とくに小さい子供の中には、泣き出す子もいて、哀れだった。

 

りんかい線国際展示場駅のホームは地下深くにある。到着と同時に、人々がとめどなくホームに流れ出て、エスカレーターへ向かうのを、ぼくは後からついていった。この駅の地上階までのエスカレーターは異様に長いのであるが、そこに驚くほどの数の中高年者が並んでいる様は、なかなかの見ものだった。なぜかしらけっこうな数の男性がポケットがいっぱいついたフィッシングのようなものを着用していた。ところどころに黄色や緑色の旗をもっている人がいた。みな、団体でやってきたようだった。エスカレーターを上りきった改札の前でも、旗を手にたっている人が何人もいて、メンバーの到着をまっていた。そしてメンバーがそろうと、列になって改札を出て、ビッグサイトとは逆の方面へ、連れ立って歩いていった。老人達の列はひとときも途切れることなく続いていて壮観であった。逆にビッグサイト方面へ歩いていく女性達の数は想像しているほど多くなく、むしろビッグサイトから駅へ帰ってくる女性達が目立った。時間は12時半を少し回ったくらいだった。憲法集会は13時からと聞いていた。ちょうど来場のピークだったのだと思う。女性達は朝早くから来て、目当てのサークルを回り終わったころだったのだろう。これらの壮大な人の流れを見ながら、ぼくは途方にくれた。新宿からなんとかやってこれたのはよかったが、どう考えても、どくはどちらの集団にも属すことがない人間だった。遠くからは右翼の街宣車君が代を流しているのが風に乗ってたしかに聞こえてきた。ひとまずぼくはビッグサイトへ行くことにした。

 

ビッグサイトに向かいながらも、やることがなにも思い浮かばなかった。人は思っていたほどには多くなく、ぼくは少し気が抜けてしまった。有明の広い土地に強く風が吹いていた。タワーマンションが何棟もそびえているのが見えたが、男の姿は片手で数えられるほどしか見かけなかった。どことなく気まずい感じを覚えた。ビッグサイトの前には夏のコミケのときによく話題にあがるカフェ・ヴェローチェがあった。せっかくなので寄って行こうかとも考えたが、お金が無駄になるので、やめた。

 

国際展示場の駅前に戻ると、機動隊の車が2台と、プロテクターを身につけた警察官が何人か見受けられた。さっきは憲法集会へ向かう人の列で気づかなかった。ぼくも憲法集会へ行こうかと思ったがなにぶん初めての参加となるので心が重かったを。そこで駅前で待ち合わせでもしているふりをしながら心を固めようとしたが、まだぽつぽつと憲法集会の方面へ向かう人々がいて、彼らがことごとく中高年以上の人々であったったので、余計に心細くなった。ぼくは集会へ出てもよくない意味で目立ってしまいそうだったし、それでもし誰かに話しかけられでもしたら、挙動不審になって苦しい思いをするだけなのは目に見えているので、あきらめて駅へ向かった。滞在時間は15分もなかったと思う。

 

今年は日本国憲法の施行から70年だった。北朝鮮の情勢もあった。帰ってニュースを見ていたら安倍首相がオリンピックのある2020年までの改憲を目指すと表明したとあった。

 

以上でございます。

自営業者、死す

先日、高円寺に古着を見に来て、驚いたことがある。

 

高円寺や下北沢といった古着屋が集まる町は、往々にして、朝が遅い。午前中には歩いている人もまばらだ。とある本で、こういった若者の町は12時を過ぎるまではまるで町が眠っているようだ、こんなことだから今の若者はだめなのだ、という嘆きも読んだことがある。

 

ところが、その日、全国に次々と店舗を増やしているチェーンの古着屋が、朝の10時から開いていたのである。それらは、大きな資本の入った店で、古着屋のみならず、服を中心としたリサイクルショップチェーンとも言える店だった。

 

昔、ぼくが高円寺や下北沢で遊んでいたとき、古着屋といったら個人経営の店か、多少チェーン展開していたとしても、そういった古着屋の町に何店舗かあるくらいのものだった。

 

ぼくは、イオンが全国の商店街をシャッターだらけにしたような巨大な資本が、古着という世界にもなだれこんできたことを感じた。

 

ぼくは地方の町の商店街のほど近くに生まれた。そこは県内でも有数の若者が集まる街だった。ぼくが子供のころ、街には金物屋や電気屋やうどん屋といった生活に必要に必要なお店や、若い人たち向けに娯楽を与える服屋や、喫茶店や、小さな映画館がたくさん並んでいた。

 

ぼくの両親の会話の中には、それらの商店を経営していた親父さんたちの話がよく出てきた。誰それの店が最近改装しただとか、景気のよかったころにはどこそこの服屋は西日本でも有数の売り上げだったとか、商店街にアーケードをかけたときのお店ごとの費用の分担の話だとか。二代、三代にわたって続けていたような店も多かったので、話は代を遡って、戦後すぐの経済成長の前や、戦前のころにまで及ぶこともあった。それらは街の歴史そのものだった。

 

2000年代が近くなってきたころだったか、景気が悪くなったのと並行して、商店街に、コンビニや、家電量販店や、ドラッグストアや、ドトールなどのカフェが急に増えだした。そうすると、それまで街の店のほとんどを占めていた個人経営のお店が、どんどんと潰れていった。金物屋も、電気屋も、うどん屋も、服屋も、喫茶店も、いつの間にか姿を消していった。ぼくは実家を離れて東京に出てきていたが、半年に一度の帰省のたび、見慣れた店はなくなり、東京でしか見たことのなかったコンビニやドラッグストアやカフェチェーンがどんどんと増えていった。それらの店にはどれにもピカピカのネオンや綺麗な看板が並んでいた。ぼくはまるで東京そのものがぼくを追って田舎に進出してきたような気味の悪さを感じた。

 

両親のうわさ話も景気が悪いどころのものではなくなった。喫茶店の店主は店をたたみ、その後にはミスタードーナツが入った。電気屋はつぶれ、店主は50歳を過ぎて介護の仕事を始めたらしかった。ラーメン屋は店をたたみ、同じ場所でチェーンのラーメン屋のオーナーになったが、うまくいかず、多額の借金をかかえて、中学一年生の子供を残して病気で死んだ。死ぬまで自営業者でやっていくつもりだった大人たちが、みな地獄を見ていたようだった。

 

巨大な資本と、洗練されたビジネスのノウハウが、金を稼ぐ場所を探して、田舎でそこそこに商売をしていた親父さん達を、蹴散らしていった。

 

その同じ力が、ぼくの生まれた街を蹂躙しただけでは満足せずに、いま、高円寺や下北沢といった街の古着屋をも食い潰そうとしているようだった。でもぼくは今度は、知り合いもいないし、前々からやっている古着屋の店主たちがいまどんな暮らしをしているのか、知る由もない。

 

もっとも、店が早くから開いていることや、店内が明るく見やすいことなど、資本とノウハウが提供する快適な購買環境は、ぼくをも捕まえていて、結局ぼくは、朝のうちにチェーンのリユースショップで買い物をして、帰った。

銀座和光 (東京ちんこ建築)

言わずと知れた銀座の中心である。四丁目の交差点の角にあり、道向かいは三越ドトールだが、このドトールカフェオレ1杯500円するクレイジーなドトールで、川崎にある24時間営業のドトールと並ぶドトール好きには有名な店だと思う。川崎のドトールは繁華街の真ん中にあったがもう潰れているかもしれない。ぼくはそこでキャバクラだがなにかそういった店に勤務を始めるに際しての、女の子と店長らしき男との会話を聞いたことがある。「あわよくば"やりたい"んだよ、だから、"やれる可能性"を感じさせてくださいね」というのが男が女に特に伝えたいことのようだった。

 

渡辺 仁の設計によるネオ・ルネサンス様式の建物である。交差点に沿った緩やかな女性的とも言える曲面が美しい。

 

神奈川のいい育ちの女性がちょっとしたフォーマルな訪問にここのお菓子を買って持参していた。その出来事に銀座和光クラス感を感じさせる。

 

ここの時計塔はゴジラの第1作目で破壊されたが、現実と虚構の狭間に落ち込んでしまった人々が映画を見た後で本当にこの時計台が破壊されたのかを確認しにきた。和光は激怒し「銀座のステータスシンボルを台無しにするな」と東宝に猛抗議をいれたが「東宝日劇ゴジラに壊されておりますので……」とよくわからないなだめ方をされたらしい。

 

これを書きながらNHKを見ていたら諏訪淳なる凄まじい写実表現をする画家の番組をやっていたが満州で餓死した祖母の死体の絵を描くために生前の満州での祖母の足跡をたどる番組だった。満州でのおぞましい歴史はぼくは少ししか触れたことがないが村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」や里見弴の短編が強く記憶に残っている。番組の中で「(敗戦後は)国民はゴミクズ以下の存在だった」という趣旨の満州からの引き揚げ経験者の老人の発言が印象的だった。諏訪淳のような画家の存在に驚いたし彼を取り上げるNHKはやはり只者ではないと思った。

 

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