東京ちんこ日記

生。社会。すべてが、ちんこ。

東京ちんこdream 4

エスカレーターに乗っていると何気なくその黒さが目についた。

「エスカレーター・は・黒い・のだ」

それはぼくにとっては新しい真理だった。

エスカレーターは、黒く、その縁は、黄色いラインで、彩られていた。

でもぼくは、その、ぼくにとっての新しい真理を疑ってみた。

「なぜ・エスカレーター・は・黒い・のか」

それはぼくのBOSEのヘッドホンが銀色なのと同じ程度に必然的で意味のあることなのだろうか。

エスカレーターを上りきると駅のホームだった。

ぼくはそこで若いロックバンドの連中とすれ違った。

東京ちんこdream 3

ぼくが電車に乗っている時に雷が鳴った。とても大きな雷で電車の屋根に槍でも降り注いだようだった。ぼくはBOSEのヘッドホンでトーキング・ヘッズの「サイコ・キラー」を聞いていた。クリス・フランツの律儀なビートがディビット・バーンによる印象的なフランス語のサビまでぼくをせっせと運んできたところだった。

驚くほど白い肌の痩せた女がマスクをつけてぼくの真向かいに座っていたのを覚えている。気が付いた時にはその女どころか座席の乗客たちはみんな影も形もなくなっていた。それどころか自分が電車の中にいるのかどうか不確かだった。そこは暗闇だった。冷たい風が吹いていて、ぼくの感覚に訴えかけるものはそれだけだった。BOSEのヘッドホンは失われていた。カバンもなかった。服を着ているのかすらわからなかった。そして状況を確かめようにもぼくの体はぴくりとも動かなかった。

でもぼくは怖くはなかった。いったいいつからそうして暗闇に包まれているのもまったく気にならなかった。雷はついさっきぼくの電車を襲ったのかもしれなかったし、それはもう30年も前のことなのかもしれなかった。しかしそんなことはどうでもよかった。ぼくはただそこに立っていた。時折冷たい風がぼくの頰を撫ぜた。

東京ちんこdream 2

こんな夢を見た。

下北沢の駅の近くの坂道の途中でのど自慢のような大会が開催された。道の途中にベニヤ板とブルーシートを使って屋根と壁が設けられていてそこが会場だった。坂道に作られていたので客席はゆるやかな段々になっていて、舞台は下の方にあった。

会場の中にはおそらくは100人ほどの客がいた。僕が古くから知っている人たちが多かったようだった。そしてテレビの撮影も入っているようだった。

僕の叔父だか叔母だかも出演することになっていた。僕は彼らの出演の順番が回ってくるのを待っていた。でも何かの手違いがあったらしくなかなか順番は回ってこなかった。僕はちょうどそばにいた高校時代からの友人のKにそのことを苦笑しながら伝えた。するとどうやらKの知り合いも出演する予定だがなかなか出番が回って来ないのだと言った(ぼくはこのKとの会話をぼくの実家の2階の薄暗い部屋で窓の外の遠くに見える高層ビルを見ながら話したような気がした)。

大会には司会がいた。痩せた若い俳優か演歌歌手のような男だった。演奏は20人ぐらいの所帯の箱バンが行っていた。指揮もいた。気の強そうな中背の中年の女性だった。時折、曲が短く終わったと思うことがあった。そんな時、箱バンの女の子たちが演奏が終わったあとで今のは指揮が間違っていたのだなどと言いあっていた。僕が見る限り指揮の女性の耳には明らかに彼女たちの批判が聞こえていた。しかし彼女はそれを無視して次の曲に進んだ。

東京ちんこdream

こんな夢を見た。

派遣の人がどうしても1人足りない。僕はその1人を探していた。僕1人で探してみた。でもなかなか見つからなかった。他の営業にも探してもらうように頼んだ。でも全然見つからなかった。前日になってもやはり1人たりない。僕は頭を抱えていた。


幸せになるのは簡単なのだ

幸せになることは簡単なのだ。

そのためには、

教育にお金をかけられる家に生まれて、
いい大学に入れる頭の良さをもち、
人並み以上の見た目で、
家庭に問題がなく、
素直に育ち、
コミュニケーション能力を順調に伸ばし、
社会のルールを完全に遵守して、
社会から期待されるレールから決して外れることなく、
勉強し、
よい大学に入り、
きっちりと単位をとり、
サークルにも入り、
リーダー経験をつみ、
恋をして、
就職氷河期に当たらず、
勉強と就職活動を両立させて、
就職先の吟味を重ねて、
まともな企業に入り、
まともな同僚や上司に恵まれ、
会社の上層部が不祥事を起こさず、
人並み以上にタフに働き、
お金を稼ぐことになんの迷いもなく、
世の中の不正には目をつぶり、
死をも恐れず、
昇進したいという強い意志と、
プレッシャーに負けない強い精神と成長意欲をもち、
仕事と結婚を両立できて、
スムーズに子供をつくり、
定年まで、確固たる意志をもって働き続ける、
そしてそういった人生が幸せであることを一切疑わない、

そうすればよかったのだ。

袋小路

仕事が始まるのが憂鬱だ。

いくら休みがあっても満たされない。やってみたいことがたくさんありすぎたということではなく、一日を無為に過ごすという最上の贅沢はいくら楽しんでも楽しみきれないからだ。

もしもぼくの労働時間やストレスなどがまともなものであればこんなにつらい気持ちになることはなかったと思う。もしも残業時間が日に2時間とか3時間ですんで、無茶なノルマを与えられたりしなければ、前向きに仕事を再開できるのではないかと思う。でも決してそんなことはない。

しかし友達の話を聞いていてもぼくの労働環境が格別に悪いわけではないらしい。もっと長時間働いていたりハードルの高い仕事を与えられている友人もいくらでもいる。でも、ぼくは人間は概してもっと弱くて享楽的な存在であると思う(全員がそうであるというのではない)。実際に、ひどい労働に耐えきれずに退職したり鬱になったりする友達を何人も見てきた(自分が働き出すまで鬱がこんなに一般的なものだとは思ってもみなかった)。

1日の所定労働時間が8時間となっているのには理由があるはずで、ぼくも定時を過ぎたあたりから体も脳も精神もきつい(特に30を超えたあたりからそれが顕著だった)。でもそんなことは無視されている会社ばかりのようだ。

企業は全世界を相手にした能力と努力を総動員した競争に勝たなければならないだろうから、そこで働く社員の仕事の量もプレッシャーも際限無く増えていくしかないような気がする。

才能や体力に恵まれた強欲な人種にとってはそれでいいのかもしれないが、そうでない人間にはたまったものではない。

「総合職」ではなく「一般職」を選ぶような、労働量と精神的負担のとめどない上昇を防ぐ選択をできればいいが、そういった選択だと収入が少ないから、ぼくには難しい。結婚などが難しくなりそうに感じている(結婚相手に年収を求める女性が多いようであるし)。

転職という方法もあるが、労働時間が長い中では転職活動は難しいし、かといって会社を辞めたら職歴にブランクがあるという理由で敬遠される可能性が高くなるし、まるで袋小路に迷い込んだような気分だ。

いやそもそも、こんな世の中にまともにつきあっていくという選択そのものが、不合理にすら思えてくる。少なくとも、ぼくみたいにレールに乗り損ねてしまった人間にとってはそうだと思う。

親ニモマケズ

親ニモマケズ
友ニモマケズ
国ヤ社会ノ圧力ニモマケヌ
確固タル理想ヲモチ
働カズ
決シテ稼ガズ
生活保護ヲモラッテヰル
一日ニ松屋ノ牛丼ト
味噌汁ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
オ金ヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
東京ノ果テノ町ノ外レノ
小サナ四畳ノ部屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
アァカワイソフダナトオモイ
西ニツカレタ母アレバ
ソノフカウヲソウゾウシテヤリ
南ニ死ニサウナ人アレバ
コハガラナクテモイイノニトオモイ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメレバイイノニトオモイ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩