東京ちんも日記

生。社会。すべてが、てんこ。

社会主義的な町並み

 腹が痛かったのと、上司がいなかったので会社を早めに出た。

 下北沢の中華料理屋で食事をしていると店員がおしゃべりしていて、南口の中華料理屋が一軒、月末に店をたたむと話していた。

 下北沢ではここ数年でとても多くの個人商店が閉店している。たとえば洋食屋のマック、定食屋の松菊と千草、居酒屋のぶーふーふー、ジャズ喫茶マサコ、いくつかのラーメン屋、カレー屋。その他、個人でやっている古着屋や古本屋、中古CD屋はほとんど姿を消してしまった。ぼくが知る限りでさえ、この調子である。

 その代わりに増えたのチェーンの牛丼屋とラーメン屋とうどん屋とコンビニとどうでもいいような安服ばかりを売る服屋ばかりだ。そういった店はどこにでもある。たとえばファミマの看板はどの街に行っても見かけるし、店内のつくりや品揃えもどこにいっても同じだ。

 どの街に行っても同じ店があり、同じものが同じ値段で買えるなんて、まるで社会主義国家みたいじゃないか。本場の社会主義と違うのは、看板やネオンの色が、下品でけばけばしいだけだ。

 別に、ひどく悪いことではないと思うけど、ぼくはふたつの理由で、街のこういった変化が嫌いだ。

 ひとつは、コンビニにしろ牛丼屋にしろ、従業員が、やりがいもなにもなさそうなのに、挨拶とかだけはマニュアルどおりにやろうとしていて、空元気が気持ち悪いこと。接客用のセリフとか、声の大きさとか、マニュアルに記載してある項目は守るようにしているのだろうが、やる気など一切なくて仕方がなくいやいやながらやっているのを、勢いのようなもので取り繕うとしているのが透けてみえて、不愉快になるし、なにより、彼がとても哀れに思われるのだ。どうせやる気がないのなら、やる気がないままに適当に接客してくれた方が、こちらも楽だ。

 ふたつめは、コンビニや牛丼屋や安服屋で得られるものがくだらないものばかりであること。コンビニは特にそうで、やたらとプライベートブランドの食品を増やしているようだがことごとくまずい。スーパーで買ったほうがよほど安いしうまいものがある。牛丼屋の牛丼を食ったら油で腹の調子が悪くなる。それにこういったものはどのに行っても同じ味だから、まるで毎日決まった時間にエサを補給されている豚のような気持ちになる(人々が牛丼屋のカウンターに並んでどんぶりにがっついている様子はまさに、豚が与えられた餌に一斉に鼻と口を突っ込んでいる光景を思い起こさせる)。

 でもこのような生活空間の社会主義化は仕方ないのかもしれない。やつら、牛丼屋やコンビニチェーンの胴元は、人間をもはや人間としてみていない。金を落としてくれる動物だと思っている。羊飼いが牧羊犬と組んで羊の群れの動きを難なくコントロールするように、やつらはやすやすと、ぼくらが気持ちよく、息を吐くように金を落とすように仕向ける。やつらは、ぼくら人間の行動をありとあらゆる手段で分析し、大量の資本を投入し、ぼくらにとっての偽者のユートピアを造り上げる。

 くだらない。コンビニや牛丼屋ばかりの街は、まるでディズニーランドのようにくだらない。