仕事が多すぎるし、意味がないので、やるせない
仕事の量が、多すぎる。営業もそうだし、資料作成の依頼が多すぎる。その上、定時内では、後輩への仕事の指示や、相談などもあり、少しも、自分の仕事が、進まない。
本来の自分の仕事である営業を進めたいが、その時間が資料作成で潰れてしまう上に、大事な提案資料を作成している最中に、何度も他の仕事の依頼を出したり、相談を受けたりするので、とてもではないが、落ち着いて進めることができない。その上、取引先からの問い合わせも、頻繁に入る。
また、資料作成は、ひとつひとつの仕事を、少しもおろそかにすることができないので、とても負荷が大きい。取引先をはじめ、社外に提出する資料ばかりを担当しているが、たったひとつの誤字や、数字の誤りが、命取りになる。ひとつひとつの書類の作成と確認に、細心の注意を払わなければならない。小さな誤りにも苦情が入る可能性があり、そして、クレームにまで発展すると、場合によってはインターネット上で広がっていくことも想定されるので、たったひとつのミスが、会社全体の評判に影を落とすことになり、どうしても、神経を尖らせざるをえない。
この神経を尖らせるということが、どれほど困難で、精神を消耗されるものなのか、いやというほど、日々感じている。文章は、読んでいるぼくの頭の中で勝手に補正されるようで、誤った漢字変換だとか、担当者名の違いだとか、奇妙な表現などがあっても、気づくことが難しい。そのため、一度頭の中を白紙にして、初めて文章を読むときのようにして、読み直す必要があるが、潤沢に時間があるときであればともかく、そういった作成物が多数たまっていて、次々と締め切りに追われている中であるので、頭を切り替えるだけの小休止を挟むことが難しく、結局、極度に神経をすり減らし集中しながら、一言一句を追っていくしか対処法がない。そういった状況下で、後輩から、取引先から、あるいは、上司から、遠慮なく、相談や、問い合わせが入り、対処していかなければならない。
神経を一点に集中しているときにまったく別の問題への回答を求められるのは、いきなり頭部を殴られるようで、頭がぐらぐらしてしまう。グロッキーという状態に近くなる。実際、定時が終わるころには、ぼくの頭はふらふらで、どっと疲労を感じ、酩酊したかのようにぼんやりしてしまう。しかし、そこまで消耗しておきながら、自分の仕事が進んでいるわけでは、決してない。たいていは、営業以外の雑多な業務に追われていただけだから、夜になって初めて、自分の仕事に手をつけるのに近い。
結果として、残業が長引き、自分の時間がなくなり、プライベートや転職活動どころではなくなる。休日出勤も頻繁になる。過度な消耗が続く。そしてぼくをもっともがっかりさせるのは、今ぼくがもっとも時間をさいているこういった業務、社外向け資料の作成であるとか、チームメンバーの取りまとめだとは、特に、査定にかかわるというわけではことだ。昇給であるとか、賞与額の決定とか、そういったものとはまったく関係がない仕事を、定時内ではほとんどずっと続けているわけで、ぼく自身の金銭面のことを考えると、毎日ほとんど8時間を、ただボランティアに費やしていることになる。その上、残業代も、休日出勤の手当てもつかないのだから、これで、やるせなさを感じるなという方が、無茶である。
みんなは幸せなのに違いない
転落の可能性がどんどんあがっていく
努力の量が、ぜんぜん、足りない
素敵なスゥツ、そして、ホテル その1
「私のこと、都合のいい女だと、思ってる?」
彼女は言った。ぼくたちは地下鉄日比谷線の神谷町駅から地上に出て、日比谷通りを虎ノ門方面へ向けて歩いていた。ぼくたちは不幸にも8月いっぱいでの取り壊しが決定されたホテル・オォクラ(ホテル・オークラ)を目指していた。
「そんなこと、あるわけが、ないじゃないか。」
ぼくは言った。
「ただ、君と一緒に、ホテル・オォクラの最期を見届けて、2人で、素敵なフレンチ・トゥストを、食べたくなったんだよ。」
「………」
彼女はなにも答えなかった。ぼくはブルックス・ブラザァズの素敵なスゥツ(注1)を着ていたが、彼女はブルゥジィンとスニィカァに、カァキ色のニットと(注2)という、アクチブなスタイルをしていた。
「君は知らないだろうが(フレンチ・トゥストのことは有名だから知っているかもしれないが)、ホテル・オォクラは、とっても、よいホテルなんだ。別に、フレンチ・トゥストのついでに、君を食べようというわけじゃ、ないんだよ笑 純粋に、とっても文化的な空間に、素敵な女性と一緒に、身を置きたくなった、ただ、それだけのことなのさ」
ぼくらは別館の入り口からホテルから入った。"ホテル御三家"の一角を占めるオォクラの立て替えが決まったとニュゥスで知ったのは、一年ほども前のことだった。そのときからぼくは一度でいいから世界中の"VIP"に絶賛されてきたこのホテルを訪れてみたいと考えていた。
インタァネットの情報によると、ホテルの中でも取り立てて評価が高いのは本館のメインロビィとのことだった。だけどぼくは、とりあえず別館には入れたものの、どうやったら、そこまで行き着けばよいのか、よく分からなかった。
「あ、お手洗いがあるよ。きっと、この中も、素敵なはず。ちょっと入ってみよう」
「ここで待っているわ」
ぼくはお手洗いに入って考えてみたが、いくら考えてみても、どうやって本館へいけばいいのかは分からなかった。それはもちろん、ぼくがホテル・オォクラへ来たのはその日が初めてであったかただった(そして最後になるはずだった)。そこでぼくはホテルの従業員にどうすればロビィへたどり着けるのか聞いてみることを決心して用を足して、お手洗いを出た。手を洗うとき、ハンド・ソゥプの容器にも「HOTEL OKURA」と流麗な文字で書かれていて感心した。
お手洗いを出ると彼女がぽつねんとして1人で立っていた。そばへ寄ると、
「ねぇ、見て」
彼女は小さく指で示した。五七桐(注3)のご紋が並んだ美しい壁の前で、着物を着た若い男女がスマァト・フォンで写真を撮りあっていた。
「あぁいうの、いやね、みみっちくて」
ぼくは美しいロビーで彼女の写真を撮って携帯電話の壁紙にできたらと考えていたのであるが、それはあきらめることにした。
「ロビィは、こっち」
彼女はエレベェタァに乗り込もうとした。ぼくはあわてて彼女の後について乗った。5階で降りて、彼女はすぐに左手へ降りた。少し廊下を歩くと、そこにはインタァネットで見た美しいロビィが目の前に広がっていた。
「…美しい(ぼくにはこう表現するのがやっとであった)。しかし、君、ずいぶん、詳しいね。」
「昔お父さんと泊まったことがあるのよ」
「ここのフレンチ・トォスト、おいしいわよね」
ぼくは愕然とした。彼女が、ホテル・オォクラでの宿泊経験がもてるほどの家の出身だとは、知らなかった。
「なんだかんだだけど、今日は誘ってくれてありがとう、うれしかった。私も実はもう一度ここのフレンチ・トゥスト食べたかったのだけど、もう予約は取れないと思って、あきらめていたの」
(え)
「あっちよ」
彼女はぼくの前に立って迷い無くロビーを進んでいった。ぼくは美しいロビィを歩きながら、それを楽しむ余裕もなく、ただその後についていった。もちろん、ぼくは予約などとってはいなかった。彼女によるとそれが必要な口ぶりであったが、本当のことなのだろうか。もしも、店に入れなかったら?ぼくの心内では混乱と焦りが生じていた。
ロビーの奥に、広い入り口があり、カフェだかレストランだかのような店があった。入り口からゆったりと距離をとって、受付のような高いテェブルがあり、しわひとつ無い白いテェブル・クロスで覆われていて、その前にクラシックな装いに身を包んだ老ウェイタァがたたずんでいた。その黒いタキシィドがテェブル・クロスによく映えていた。床には上品な赤いじゅうたんが一面に敷き詰められていたと、記憶している。ぼくは脇の下から冷たい汗が滴り落ちるのを感じた。
「じゃあ、お願い」
彼女はそういって入り口の前で立ち止まった。その奥の店内には客用のテェブルが並んでいるのが見えたが、ひとつひとつのテェブルの間がかなりあいていて、さすがに優雅なフロアであった。テェブルは半分も埋まっていなかった。ぼくは予約がなくても席につけるのではないかと、希望を胸にいだいて、店に入り、老ウェイタァに声をかけた。
「あの、2名なのですけど」
「ご予約はございますか」
「いえ特には」
「あいにくなのですが、本日はご予約で満席となっておりまして」
ぼくは打ちひしがれた気分で振り返った。するとそこには、彼女が、まるでトラックにひき殺されたウシガエルの死体を哀れむような目で、ぼくを見つめていた。
注1:下記URLを参照のこと
http://tokyoxxxclub.hatenablog.com/entry/2015/08/30/215623
注2:2016A/Wで流行の兆しあり
注3:500円硬貨にも用いられている
人生が、磨り減り、死ぬのを、待つのみ
一年を通じて、忙しくなかったことが、ほとんど、ない。今日こそは、早めに帰ろうと決意していたが、オフィスを出たのは、九時を、過ぎていた。
社会人になって間もないころは、朝八時か夜九時まで働くということが、とても辛く、会社を出たあとで、気が狂いそうになったことが、何度もあった。
毎晩のように、帰りが二十三時を越えるような働き方を、一年も続けていたら、九時に帰れることは、ありがたいと思うようになった。それから、少しは働き方が、相対的には、落ち着いたが、今度は、体の方が、衰えてきて、もう、とても、しんどい。
朝起きるのが、辛い。いっそのこと、この世が終わればいいだとか、日本が、崩壊してくれたほうが、まだ楽であるとか、考えてしまうほどに、辛い。
人間の、幸せの最低限の条件は、健康でいられることでは、ないか。いわゆる、文化的な生活を送るその前に、体を壊すほどの過重労働から、自由になる権利を、誰もが、もつべきでは、ないだろうか。
もちろん、逃げる権利は、ぼくにも、あるのだが、でも、逃げた先に、どんな状況が待ち受けているのかを考えると、恐ろしい。
食うには、困らない。でも、それだけ。下手をうてば、まともな職につけず、生涯、アルバイト。それどころか、アルバイトすらできなくなり、羞恥の、生活保護。いや、飢え死、かもしれない。
逃げ出したい、逃げ出すべき、環境にいるときに、逃げだせない、辛さ。
人生が、磨り減り、死ぬのを、待つのみ。