東京ちんこ日記

生。社会。すべてが、ちんこ。

東京ちんこdream

こんな夢を見た。

派遣の人がどうしても1人足りない。僕はその1人を探していた。僕1人で探してみた。でもなかなか見つからなかった。他の営業にも探してもらうように頼んだ。でも全然見つからなかった。前日になってもやはり1人たりない。僕は頭を抱えていた。


幸せになるのは簡単なのだ

幸せになることは簡単なのだ。

そのためには、

教育にお金をかけられる家に生まれて、
いい大学に入れる頭の良さをもち、
人並み以上の見た目で、
家庭に問題がなく、
素直に育ち、
コミュニケーション能力を順調に伸ばし、
社会のルールを完全に遵守して、
社会から期待されるレールから決して外れることなく、
勉強し、
よい大学に入り、
きっちりと単位をとり、
サークルにも入り、
リーダー経験をつみ、
恋をして、
就職氷河期に当たらず、
勉強と就職活動を両立させて、
就職先の吟味を重ねて、
まともな企業に入り、
まともな同僚や上司に恵まれ、
会社の上層部が不祥事を起こさず、
人並み以上にタフに働き、
お金を稼ぐことになんの迷いもなく、
世の中の不正には目をつぶり、
死をも恐れず、
昇進したいという強い意志と、
プレッシャーに負けない強い精神と成長意欲をもち、
仕事と結婚を両立できて、
スムーズに子供をつくり、
定年まで、確固たる意志をもって働き続ける、
そしてそういった人生が幸せであることを一切疑わない、

そうすればよかったのだ。

袋小路

仕事が始まるのが憂鬱だ。

いくら休みがあっても満たされない。やってみたいことがたくさんありすぎたということではなく、一日を無為に過ごすという最上の贅沢はいくら楽しんでも楽しみきれないからだ。

もしもぼくの労働時間やストレスなどがまともなものであればこんなにつらい気持ちになることはなかったと思う。もしも残業時間が日に2時間とか3時間ですんで、無茶なノルマを与えられたりしなければ、前向きに仕事を再開できるのではないかと思う。でも決してそんなことはない。

しかし友達の話を聞いていてもぼくの労働環境が格別に悪いわけではないらしい。もっと長時間働いていたりハードルの高い仕事を与えられている友人もいくらでもいる。でも、ぼくは人間は概してもっと弱くて享楽的な存在であると思う(全員がそうであるというのではない)。実際に、ひどい労働に耐えきれずに退職したり鬱になったりする友達を何人も見てきた(自分が働き出すまで鬱がこんなに一般的なものだとは思ってもみなかった)。

1日の所定労働時間が8時間となっているのには理由があるはずで、ぼくも定時を過ぎたあたりから体も脳も精神もきつい(特に30を超えたあたりからそれが顕著だった)。でもそんなことは無視されている会社ばかりのようだ。

企業は全世界を相手にした能力と努力を総動員した競争に勝たなければならないだろうから、そこで働く社員の仕事の量もプレッシャーも際限無く増えていくしかないような気がする。

才能や体力に恵まれた強欲な人種にとってはそれでいいのかもしれないが、そうでない人間にはたまったものではない。

「総合職」ではなく「一般職」を選ぶような、労働量と精神的負担のとめどない上昇を防ぐ選択をできればいいが、そういった選択だと収入が少ないから、ぼくには難しい。結婚などが難しくなりそうに感じている(結婚相手に年収を求める女性が多いようであるし)。

転職という方法もあるが、労働時間が長い中では転職活動は難しいし、かといって会社を辞めたら職歴にブランクがあるという理由で敬遠される可能性が高くなるし、まるで袋小路に迷い込んだような気分だ。

いやそもそも、こんな世の中にまともにつきあっていくという選択そのものが、不合理にすら思えてくる。少なくとも、ぼくみたいにレールに乗り損ねてしまった人間にとってはそうだと思う。

親ニモマケズ

親ニモマケズ
友ニモマケズ
国ヤ社会ノ圧力ニモマケヌ
確固タル理想ヲモチ
働カズ
決シテ稼ガズ
生活保護ヲモラッテヰル
一日ニ松屋ノ牛丼ト
味噌汁ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
オ金ヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
東京ノ果テノ町ノ外レノ
小サナ四畳ノ部屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
アァカワイソフダナトオモイ
西ニツカレタ母アレバ
ソノフカウヲソウゾウシテヤリ
南ニ死ニサウナ人アレバ
コハガラナクテモイイノニトオモイ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメレバイイノニトオモイ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

2016年の、「上質な暮らし」って、こういうことなのかも、しれない

【「上質な暮らし」って、なんだろう。】

もちろん、決まりきった答えは、ないとは、思うけど、「自分なりの、満足感」を得られるがポイントなのは、間違いが、無さそうだ。

仕事や、趣味だけでなく、「聞く音楽」や、「カバン」、「夜の暮らし」など、特別に、お金をかけなくても、自分なりに、工夫して、生活の、ひとつひとつを、丁寧にすることで、きっと、毎日が、変わるはずなんだ。

そんな考えに、基づいた、「上質な暮らし」のひとつの例として、とある圧倒的成長ビジネスマンの休日を、覗いてみた。

【お気に入りの音楽で、爽やかな朝を】

4時間の睡眠をとるとしたら、それは、1日の6分の1は眠っているということ。

本当は、もう少しだけでも、眠りたいけれど、圧倒的成長ビジネスマンにとっては、なんらの生産性もない睡眠の時間は、「無駄」の一言。

休日だって、6時には起きて、出勤、したい。

とはいっても、なんとなく、睡眠不足。そんな朝は、出勤時間を使って、リフレッシュ。

そのためにぼくらには、「上質な音楽」が、必要なんだ。

今日のチョイスは、「フリッパーズ・ギター」。

小沢健二」と「小山田圭吾」が在籍した、カルト的なバンドだ。

春の到来を確信させる、爽やかな朝には、彼らのファースト・アルバムの、「three cheers for our side〜海へ行くつもりじゃなかった」を、最新テクノロジーの詰まった、「BOSE」のヘッドホンで、楽しむ。

ほおをなぜる、柔らかな風。耳を包む、甘酸っぱいメロディーと、心地よい、ビート。

これからの長く厳しい労働へ向けて、確かな助走が、完了だ。

【デキるビジネスマンの選択は、ラギッドなPCと、クラフツマンシップあふれる、上質なカバン】

デキるビジネスマンの戦闘服は、もちろん、スーツ。

そして、カバンの中には、いつでもどこでも仕事ができるように、ラップトップPCを、イン。

もちろん、デキるビジネスマンなら、ラギッドな男のための「レッツノート」。やわな「マック」は、アウトだよね。

さて、仕事のための「ギア」は、ヒジネスマンにとって、命よりも、大事なもの。

だからこそ、それを収めるカバン選びも、ビジネスマンの成長を、左右する。

ぼくのセレクトは、TUMI(トゥミ)。防弾チョッキにも使われてる、「バリスティック・ナイロン」で作られた、世界最強のブランドだ。

これなら、銃社会のアメリカに、急な出張が入っても、安心。

気分はまるで、「三菱商事」の、タフガイだ。

【夜の暮らしにもこだわるのが、デキるビジネスマン。厳選された上質な体位で、とろけるような甘美な夜を】

デキるビジネスマンは、夜も、デキる。

もちろん今夜も、男と女との性的な満足を追求するべく、夜の営みに、励む。

昼の仕事で培われた、「上質」を見抜くセンスを、夜も、存分に発揮。

「無駄な体位の変更は、夜のボルテージを、下げるだけ。厳選した上質な体位で、上質な交わりを。」

夜のビジネスマンは、こう語る。

彼は、体位のバリエーションや、見た目の珍奇さが、夜のモチベーションをあげるわけではないことを、熟知している。

「四十八手、上質にしかず」

彼は通常、2、3の、厳選された、上質な体位しか、使わない。

でも、それで、十分なのだ。

かれは、性的に、しあわせでした。



以上、東京ちんこ倶楽部が提案する2016年の「上質な暮らし」の一例はいかがでしたでしょうか? 何一つ特別なことはしていない、でも少しだけ、気持ちが、いい、そんな一日の、参考にになれば、幸いです。

好きなもの、気になるものを追いかける途中で、夜の生活にも、こだわりながら、自分なりの満足とは何かを考え、ちょっとした工夫をするだけで、日常は、もっと上質なものになるのでは、ないでしょうか。






センター街の、自由

ぼくは、ザ・ポップ・グループを、聞きながら、渋谷を歩いていた。

そこは、センター街だった。

ぼくは、マスクを、していた。

喧騒の中で、ぼくだけが、自由だった。

ぼくの耳は、ギターの弦が、空間を斬る音と、ベースとバスドラムが、空気を蹴り出す音しか、聞いてはいなかった。

ぼくの口は、白い布が、覆っていた。ぼくは、誰にも、なにも、話す必要は、なかった。

そこは、センター街で、街の、谷底だった。

丘の上から、たくさんの人たちが、流れてきた。

センター街は、夜だった。

カラオケ屋のネオンが、牛丼屋のネオンが、ピザ屋のネオンが、バーのネオンが、照らしていた、街と、人を。

誰もが、誰かと、話していた。

若い男達が、若い女達と、話していた。

日本人が、中国人と、黒人と、白人と、話していた。

ぼくだけが、一人。

ぼくだけが、自由だった。

ぼくの目だけが、自由に見ることができ、ぼくの耳だけが、純粋で、ぼくの心だけが、深く、沈んでいた。

ぼくは、ザ・ポップ・グループを、聞いていた。


春は、残酷

春の嵐が吹いて、ぼくは、ヘッセの小説を、思い出した。

営業の途中に、とある大学の、キャンパスを通った。桜の花はまだ散ってはいなかった。入学式を終えたばかりの新入生達が、なにかが始まるのを待っていた。サークルの勧誘が行われていた。キャンパスは笑い声に溢れていた。彼らは希望に満ちていた。なにが起こるのかもわからない、まだなにも考えてはいない、可能性に満ち溢れた、もっとも純粋な希望のようだった。

雨上がりの空気は湿り気を帯びて、むせるほどだった。空気さえ、希望をはらんでいるような気がした。 

ぼくはぼく自身にも今日の彼らのような時代があったことを思い出した。それは遠い昔のことだった。そしてそんな時間が二度と帰ってはこないことを思った。そんなことはとっくの昔に知っていたが、思い起こさずにはいられなかった。呼吸をするたびに、春が、希望が、ぼくを侵した。

それはとても辛いことだった。

帰り道、キャンパスのはずれに、一本の桜があった。その花は幹を覆い隠すほどに咲き誇っていた。その美しさはとても残酷だった。それはとても辛いことだった。