東京ちんも日記

生。社会。すべてが、てんこ。

彼女の死

昔から知っていた女の子が死んだ。もっとも、ぼくが東京に出てきてからは年に二度ほどしか顔を合わさなかった。
数年前、田舎の市内に新しく巨大な橋がかかった。それは人間が歩くためのものではなく車両向けの有料道路で、山と山を結び、眼下には一級河川が流れており、全長は900mを越す巨大なものだった。市内のどこからでもその姿を認めることができるほどだった。その橋から彼女は飛び降り、川に流されていったのだが、深夜のことだったので、誰にも気づかれなかった。
彼女が夜中に家を抜け出して朝方になって帰ってくるのはよくあることだった。大抵は近場のコンビニに行って雑誌を立ち読みし、菓子類を買って帰ってきた。ときにはそのまま夜明けを待って始発電車に乗り、都市部へ出て、街をふらつき回って数日を過ごすこともあった。でも彼女はもう30代の半ばだったので一緒に住んでいた彼女の両親も姉も好きなようにさせていた。彼女はチェーンのカフェでアルバイトをしていたが勤務は週に一回ほどだったので、生活が不規則になっても大きな問題はなかった。
家では犬を飼っていた。小型の黒い柴犬だった。彼女は母親に頼まれてときおり犬を散歩を連れていった。狭い町内だったのでその姿を見かける近所の人も多くいた。戦争の直後までは農村でしかなかった彼女の町は近所付き合いが濃く、人々は彼女を見るたびに挨拶を交わし、簡単に世間話をすることもあった。ただ町にいるのは老人ばかりだった。彼らの息子や娘達は多くの場合高校から山を降りて平地の学校に通い、生活にゆとりのある家庭ではそのまま多く子どもが都会の大学に出ていき、そしてほとんど町に帰って暮らすことはなかった。実家に帰ってくる者がいても、町には仕事がなく、昼間は車で市街地まで働きにでた。町にある小学校や中学校の子どもの数も年々目に見えて減っていた。そのようなわけで彼女が住んでいる町はとても静かで往来がほとんどなかった。
彼女には兄と姉がいたが兄は大学から実家を出てそのまま東京で就職した。姉は毎朝車で山をおりて町まで働きに出ていた。契約社員としてデパートの経理補佐をしていた。父親は数年前にメーカーの総務を勤め上げたが、定年後も再雇用のかたちで会社に残ることになった。昼間、家に残されるのは彼女と母親だけだった。
彼女の家は二階建てで部屋が九つあり、一般的な感覚からするとかなり広い方だった。一階の奥にある床の間は12畳あり、同じくらいの広さの座敷が隣り合っていた。それに縁側と庭があった。戦前からの裕福な農家だった。
彼女の家には週に三度は客が出入りした。ほとんどが近所の老人達だったが、親族との付き合いもかなりあった。また母親の学生時代からの旧友もときおりやってきた。子供を育て上げた母親には時間がたっぷりとあったので、やってくる人々を丁寧にもてなした。ただ母親は話好きで、来客の方が聞き役になって口を開く隙がないことも多かった。それでも客はみな悪くない気分で玄関を出ていった。母親は自分がしたい話を、相手を飽かせることなく延々と続けることができた。
彼女の方は常々二階の自室で過ごしていたが、来客のときには階段をおりてきて話に加わっていた。でも地元の大学を卒業して二年がたったころから、客に顔を出すことが次第に減っていった。ぼくがぼくの母親と彼女の家を訪れるときにも、姿を見せないことが多くなった。ぼくの母親と彼女の母親とは、大学時代からの付き合いの深い友人だった。
彼女の死を知った日は、母親から珍しく電話が入って、折り返してみると、彼女がなくなったこと、そして自死であったことを告げたのだった。川の下流で、朝方、釣りに出た老人が、彼女の姿を発見したとのことだった。